ブナの森。地面にぽっかりと穴が開いている。
そこは、誰も知らないくらいに森の奥で、村で一番足の速いテトだけが辿り着ける場所。
穴を覗き込んでも、何も見えやしない。ただ、水の気配がする。耳を澄まし、地面に手を当てる。水は流れている。穏やかに、だが勢いは強い。
森の下は湖なのだ。ブナの樹が浄めた水、ブナの樹を守る水がこの下に集まり、地下湖となっているに違いない。
どこまでも澄んだ水はこの穴から僅かに射す日の光や月の光で輝いているだろう、澱みを知らぬ水の中で泳ぎたい、いつまでも永遠に。テトは夢想する。
ここのところ、テトは毎日のように穴へやってきていた。仕事もせずにどこへ行くのだと父や仲間に厳しく責められても、答えなかった。きっと睨んで森の中へ走り去る。誰も追いかけてこない。追い付けないから。
穴の直径はテトがなんとか飛び込めるくらいの大きさだ。近頃、とみに大きくなっているテトだから、あと何ヵ月かしたら、穴に入ることはできなくなるだろう。
「行くなら、今だ」
テトは服を脱ぐ。ブナの葉が優しくした日の光が、テトの幼さの残るしなやかな肉体を照らす。
胸の前で手を合わせ、ゆっくりと息を吸った――。
テトが上げた飛沫と水音の美しさは、ブナの樹たちだけが知っている。