「よい香りでしょう?」
言われるがまま、鼻孔をくすぐるジャスミン茶の香りに浸る。
カップを覗くと、河の両岸に古ぼけた白い壁と黒い屋根の建物が並ぶ。水の中に建っているような不思議な家々。
「ここは?」
「蘇州の景色が見えましたね」
男は嬉しそうに笑った。男の故郷だと言う。
「素敵な街ですね」
お世辞ではなく、心底そう思った。舟からの景色だろうか、私はゆっくりと水路を下っている。穏やかに水と時が流れる。水面に映る家々がたゆたい、石の橋を潜る。
「お茶が冷めてますよ」
時計を見ると、どうやら二十分近くも経っていた。
男はどういう幻術使いだろう。訝しみながらも、黙って冷えたお茶を飲む。しかし、もう一度蘇州に行きたい衝動は抗しがたく、冷たいジャスミンの香りを思い切り吸い込むと酷く咽た。
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