細かい刺繍が施された布が友人だった死体の顔に掛けてある。
「白い布じゃないんだな」
と言うと死体の妻は頷いた。
「死んでからも弁じ続けてたの。どうにか黙らせようと、口に綿を入れたり、首を絞めたりしたんだけど、この方法がいいと勧められて」
そっと刺繍布をめくると、死体の口から言葉が飛び出して来た。
もはやそれは友の声ではなく、体内に溜まっていた思考の残響だった。
まだまだ溢れてくる言葉を抑えつけるように布を掛けた。
*繍*
2006年7月30日日曜日
2006年7月29日土曜日
雑巾を巡る旅
縫い目を見て、すぐに姉のものだとわかった。姉が縫った雑巾には筆跡のような曖昧だが確固たる特徴があった。
姉の雑巾は、いつの間にかあちこちで使われていた。どのような経緯で人様に渡ったのか今となってはわからないが、全国どこに行っても姉の雑巾を見つけた。汚れもよく落ち、丈夫で長持ちすると必ず言われる。誇らしげに教えてくださる雑巾の持ち主に、私は苦笑を隠せない。
実際長持ちするのだ、20年も使い続ける雑巾がどこにあるのか。
一針づつに失恋の痛みと怨みを込め続けた姉さん。あなたは一体いくつの恋をしてきたんだ?
五十ニ枚目の雑巾を手、天に問い掛ける。
*縫*
姉の雑巾は、いつの間にかあちこちで使われていた。どのような経緯で人様に渡ったのか今となってはわからないが、全国どこに行っても姉の雑巾を見つけた。汚れもよく落ち、丈夫で長持ちすると必ず言われる。誇らしげに教えてくださる雑巾の持ち主に、私は苦笑を隠せない。
実際長持ちするのだ、20年も使い続ける雑巾がどこにあるのか。
一針づつに失恋の痛みと怨みを込め続けた姉さん。あなたは一体いくつの恋をしてきたんだ?
五十ニ枚目の雑巾を手、天に問い掛ける。
*縫*
2006年7月27日木曜日
切れるもの
鼻緒が擦れて、血が滲んだ。下駄なんか履いて長い時間歩くからだ。歩かせるからだ。
「歩けん」
彼はしゃがみこんで、私の左足に顔を近づけた。
「血が出てる」
「だから歩けない。痛い」
本当はそれほど痛くなかった。負ぶってくれやしないかと、少し期待している。
だけど彼は、親指と人差し指の間をペロペロと舐めだした。
なんだか彼の頭を殴りたくなった。殴ってやろうかどうしようか、考えているうちに、足の傷はすっかり治ってしまった。
私の足が治ると、今度は下駄を舐めだした。切れた鼻緒もペロペロと舐めて、すっかり直してしまった。おまえの涎は何で出来ているのだ。
「汗と血の味がした」
ニヤリと笑う。今度こそ本気で殴りたい。
*緒*
「歩けん」
彼はしゃがみこんで、私の左足に顔を近づけた。
「血が出てる」
「だから歩けない。痛い」
本当はそれほど痛くなかった。負ぶってくれやしないかと、少し期待している。
だけど彼は、親指と人差し指の間をペロペロと舐めだした。
なんだか彼の頭を殴りたくなった。殴ってやろうかどうしようか、考えているうちに、足の傷はすっかり治ってしまった。
私の足が治ると、今度は下駄を舐めだした。切れた鼻緒もペロペロと舐めて、すっかり直してしまった。おまえの涎は何で出来ているのだ。
「汗と血の味がした」
ニヤリと笑う。今度こそ本気で殴りたい。
*緒*
2006年7月24日月曜日
2006年7月22日土曜日
2006年7月20日木曜日
雨を降らせに行く娘
晴れの日が続くと娘はフイと旅に出る。初めて出て行ったのは中学校に入って間もなくのことだった。
「雨が降らないから、ちょっと行ってくる」
どこに行くのか、いつ帰るのか、学校はどうするのか、誘拐されやしないか。引き留めも聞かずに呆気なく出て行った。一人娘が戯言を言ってリュックも背負わず出て行って、私はこれ以上ないくらいに動揺した。
雨が降った翌日には必ず帰ってくるとわかってからは、ずいぶん気楽に送り出せるようになった。
「ねぇ、どうやって雨を降らすの?」
と眠っている娘に聞いてみた。起きている時には絶対に教えてくれないから。
「雲を絞るんだ。雑巾みたいに」
そういえば、雨を降らせて帰ってきた娘の手のひらはいつも真っ赤だ。
今年の大掃除は、拭き掃除をやらせよう。
*絞*
「雨が降らないから、ちょっと行ってくる」
どこに行くのか、いつ帰るのか、学校はどうするのか、誘拐されやしないか。引き留めも聞かずに呆気なく出て行った。一人娘が戯言を言ってリュックも背負わず出て行って、私はこれ以上ないくらいに動揺した。
雨が降った翌日には必ず帰ってくるとわかってからは、ずいぶん気楽に送り出せるようになった。
「ねぇ、どうやって雨を降らすの?」
と眠っている娘に聞いてみた。起きている時には絶対に教えてくれないから。
「雲を絞るんだ。雑巾みたいに」
そういえば、雨を降らせて帰ってきた娘の手のひらはいつも真っ赤だ。
今年の大掃除は、拭き掃除をやらせよう。
*絞*
2006年7月19日水曜日
2006年7月18日火曜日
2006年7月14日金曜日
2006年7月11日火曜日
2006年7月10日月曜日
2006年7月8日土曜日
2006年7月7日金曜日
絹
彼女はいつもシルクの服を着ていたから、わたしは「おきぬさん」と呼んでいた。本当の名前は「千恵子」だった。
おきぬさんはずいぶん年寄りなのに、穏やかな顔をしているのを見たことがない。厳しくて鋭い顔、油断のない顔だった。わたしの周りにいた他のお年寄りたちは、もっと優しかったし温かかったのに。
「どうだい? この服いいだろう?絹で出来てるからね、上等で綺麗でしょう? あんたにわかるかねぇ」と服を自慢する時でさえ、おきぬさんの目付きは険しかった。
その理由がわかったのはおきぬさんが死んだ時だった。おきぬさんが息を引き取ると、寝間着はたちまち蚕になった。蚕がおきぬさんの身体を這い回っていた。
蚕は時間が経つごとに増えていき、火葬の時には棺の蓋が持ち上がるほどだった。
「おきぬさんはね、お洒落で絹を着ていたんだけど、蚕の命も一緒に着ていたんだよね。絹を着るのは辛いって一度だけ言ってたよ」
と、おきぬさんの姪にあたるという人が教えてくれた。
そこまでして絹を着続けたおきぬさんの気持ちを、わたしはまだわかりそうにない。
*絹*
おきぬさんはずいぶん年寄りなのに、穏やかな顔をしているのを見たことがない。厳しくて鋭い顔、油断のない顔だった。わたしの周りにいた他のお年寄りたちは、もっと優しかったし温かかったのに。
「どうだい? この服いいだろう?絹で出来てるからね、上等で綺麗でしょう? あんたにわかるかねぇ」と服を自慢する時でさえ、おきぬさんの目付きは険しかった。
その理由がわかったのはおきぬさんが死んだ時だった。おきぬさんが息を引き取ると、寝間着はたちまち蚕になった。蚕がおきぬさんの身体を這い回っていた。
蚕は時間が経つごとに増えていき、火葬の時には棺の蓋が持ち上がるほどだった。
「おきぬさんはね、お洒落で絹を着ていたんだけど、蚕の命も一緒に着ていたんだよね。絹を着るのは辛いって一度だけ言ってたよ」
と、おきぬさんの姪にあたるという人が教えてくれた。
そこまでして絹を着続けたおきぬさんの気持ちを、わたしはまだわかりそうにない。
*絹*
2006年7月5日水曜日
2006年7月4日火曜日
2006年7月3日月曜日
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