2005年10月31日月曜日

操り人間と発条ネコその15

発条ネコが目を覚ますと操り人間が傍で眠っていた。
安田は珍しくきちんと手足を伸ばして寝ている。
「今日は解いてやる必要はないな」
キンキュウジタイはたいやき屋を目指して歩き出した。
黄色い海を見下ろす街のたいやきは緑のあんが入っていた。キンキュウジタイはこの街が気に入った。
しばらくここにいたいと思う。
だが操り人間を尾行するのを止めるのは惜しい。
安田はまだ寝ている。

2005年10月30日日曜日

果たして僕らは仲良しだったのか

高層ビルの谷間を黒眼鏡をかけた蝙蝠が飛び交う。
ずいぶん明るくなっちまった、この海辺の町。
僕らは走る。足並み揃えて。
象は大量の女たちに揉まれて逃げ出した。足枷を引きずって。
僕らは走る。生まれたままの姿で。
レントゲンを撮ると、胃袋にニッポンの女の子が暮らしていた。
僕は走る。大きな蝋燭の傍をひとりで。
隣に乗り合わせた男がポルノ小説を読むので汽車の中で妊娠した。
僕らは走る。抜け駆けする奴らを放って。
黒眼鏡をかけた蝙蝠たちは、香水瓶に帰っていった。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
佐々木マキ「うみべのまち」をモチーフに

操り人間と発条ネコその14

操り人間安田が歩いていると、段々風景が変わっていった。
家の窓に剣が刺さり、木にはたわわに牛乳が実っていた。
芝生はピンク色で、ブタが二足歩行している。
安田はそんな光景に目もくれず歩いていた。
ただ、発条の切れたネコを見つけた時だけは立ち止まって、発条を巻いてやるのだった。
キンキュウジタイが目を覚ました時には、もう10メートル先を歩いていたけれども。

2005年10月28日金曜日

操り人間と発条ネコその13

安田が歩いていると目の前に海が現れた。
安田は迷わず海に入る。彼は後戻りはしないのだ。
海の中に入るとすぐに安田の細く糸の付いた手足は絡まり、その格好のままぷかりと浮いた。
「こうして浮いたまま寝ていれば、目が覚めるころには向こう岸に着くだろう」
発条ネコのキンキュウジタイは生まれて初めて海を見て溜息をついた。
発条が錆びる。

2005年10月27日木曜日

操り人間と発条ネコその12

キンキュウジタイは、真夜中の迷子とじゃんけんをしている。
真夜中の迷子はキンキュウジタイの発条をもう8回回した。
キンキュウジタイはとっくにじゃんけんに飽きている。
だが、そのおかげで今晩安田は悪夢を見ない。

2005年10月25日火曜日

メアリーポピンズみたいな

「知ってるか?タマネギを切ると涙が出るのは、」
と、わたしがタマネギを切る後から覗き込みながらケンちゃんが言う。うっとおしい。
「包丁持ってるヒトの回りでうろちょろしないの!」
ケンちゃんはもっともらしい冗談を言って、わたしを騙すのが好きなのだ。ときたま本当のウンチクが混ざるからタチが悪い。わたしが混乱するのを心底喜んでいる。知ってるか、が始まったら要注意。
「カンドーするからなんだよ」
「は?勘当?」
「感動」
ケンちゃんは、私の涙を人差し指で掬って、その指をチュウと音を立ててしゃぶった。
タマネギで感動するなんて、いくらなんでも有り得ない。騙されないぞ、と決意しながら
「どういうこと?」
と聞いてみる。
ケンちゃんは待ってました、って顔をして、指をパチンと鳴らした。メアリー・ポピンズみたいに。
それは本当にメアリー・ポピンズと同じだった。
わたしは、タマネギを刻みながら感動の涙を流していたんだ。
タマネギの歌は厳そかなハーモニーで、キッチン全体がその声に震えているのがわかった。
ケンちゃんがもう一度指をならすと、キッチンはもとのパッとしないキッチンに戻った。
「ケンちゃん、今の魔法?」
「知ってるか。タマネギを切ると涙が出るのは、タマネギの中のアリシンが」
「感動するから、でしょ」
今度はわたしが指で掬ったケンちゃんの涙をしゃぶる番。

きららメール小説大賞投稿作

操り人間と発条ネコその11

操り人間の安田はかつて操り人形だった。
どういう経緯で操り人間になったのか、安田は覚えていない。
しかし、操り人形だった時のことはよく覚えている。
安田は道化だった。操作する者(安田は親方と呼んだ)によって踊りがうまくなったり下手になったりした。どちらにしても、笑われるのだが。
安田は、自分で軽やかに踊る夢を見ている。大観衆から喝采を浴びている。

公園の真ん中でひっくり返っている安田の身体をキンキュウジタイが解いている。
それを見た人々は指を指して笑う。

2005年10月24日月曜日

操り人間と発条ネコその10

発条ネコのキンキュウジタイはたいやきが好きで、たいやき屋を見つけると必ず立ち寄る。
どのたいやき屋も心得たものでキンキュウジタイを招き入れると、たいやきをひとつ与え、油を注し、発条を巻き、ブラシをかける。
キンキュウジタイはたいやき屋で至福の時を過ごす。
キンキュウジタイが店の裏で発条を巻いてもらう間、たいやきを買いに来た安田は待ちぼうけを食った。

2005年10月23日日曜日

操り人間と発条ネコその9

操り人間の安田が歩いていると
「だるまさんがころんだ!」
と声がした。
思わず立ち止まり、ひとつ息をしたところで再び歩き出す。
「だるまさんがころんだ」
今度は構わず歩き続けた。
「安田さんが動いた!」
腰の抜けた安田を、はじめは大騒ぎで弄んでいた子らも次第に飽きて、ひとりふたりと散っていく。
日が暮れはじめて最後の子も帰っていった。
安田は腰を抜かした時よりも複雑な体位で眠りこける。
キンキュウジタイはだるまさんが転ぶと同時に発条が切れた。

2005年10月21日金曜日

操り人間と発条ネコその8

発条ネコのキンキュウジタイが赤い風船と遊んでいる。
キンキュウジタイが前足で風船を突くと、風船はキャアキャアと笑う。
キンキュウジタイが尻尾で風船を撫でるとヌムヌムと身をよじる。
風船はとうとう気が違ってきて
走っているダンプカーにぶつかった。
バン! と大きな音がしてキンキュウジタイは風船の最期を思った。
ところが壊れたのはダンプカーで、赤い風船は相変わらずヌムヌムと浮遊している。
安田は驚いた拍子に腰と膝と首が抜けた。

2005年10月20日木曜日

操り人間と発条ネコその7

発条ネコは発条が切れると動かない。
かつてキンキュウジタイは四年間眠っていたことがあった。
目が覚めると最前と景色が違うことにキンキュウジタイは笑ったものだ。
今、目の前にはぐにゃりと倒れた操り人間がいる。
キンキュウジタイは絡まった身体を解いてやる。
「世話のやける人間だ。」と思いながら、また後についていくつもりでいる。

2005年10月19日水曜日

操り人間と発条ネコその6

操り人間の安田は歩き続ける。
安田が行く処、すべからく未踏の地であるべし、である。
安田が夜の街で眠っている発条ネコを見つけた。
「よく見掛けるけれども、一度も動いているのを見たことがないネコ」である。
安田は「コイツはいつでも緊急事態だな。」と呟きながらキンキュウジタイのヘソについている発条のネジを巻く。
力を入れ過ぎて膝が萎え、その場に崩れ落ちて気を失った。

2005年10月17日月曜日

操り人間と発条ネコその5

安田が歩いていると、ごぼうが「コンニチハ、安田さん」と言った。
「こんにちは」と最高の笑顔で返してから
「はてな、ごぼうの知り合いはいたかしらん」
と考えていたら、転んだ。
背中の上に頭を乗せたまま、ごぼうの知り合いについて考えているうちに眠ってしまった。
キンキュウジタイは安田の22メートル後にいる。

2005年10月16日日曜日

操り人間と発条ネコその4

操り人間安田は真夜中の道端で転んで身悶えていた。
悶えれば悶えるほど手足は絡まるが、こんな田舎道、真夜中に通り掛かる人はいない。
安田は諦めて、右手が左足に絡み左足が頭に絡み右足が右手に絡み右手が左手に絡んだまま眠ることにした。
発条ネコのキンキュウジタイは安田の一部始終を見ていた。
難儀な人間であることよ、とキンキュウジタイは考えた。
キンキュウジタイは尻尾を巧みに使い安田の手足を解いて、その場を去った。

2005年10月15日土曜日

操り人間と発条ネコその3

キンキュウジタイが歩いているとしばしば時限爆弾騒動が起きる。
キンキュウジタイは、騒ぎの周囲でうろつき回って慌てている人間どもを見物した。
しかし、次第に発条が切れてきて眠くなる……。
何者かによって発条が巻かれたキンキュウジタイが目覚めると時限爆弾騒ぎはすっかり収まっていた。

2005年10月14日金曜日

操り人間と発条ネコその2

安田はしばしば自分の手足についた糸が絡まって、甚だしい格好になる。
たった今、安田は段差に躓いた。
安田は周囲の人に助けを求める。
はじめはひとりか二人だったのが次第に人数が増え、知恵の輪に興じるがごとく色めきと苛立ちで安田に取付く。
安田は身体を玩ばれながら、詫びの言葉を繰り返す。
「まことにお手数をおかけまして……」
その表現は正しい。

2005年10月13日木曜日

操り人間と発条ネコその1

操り人間の名前を安田という。
操り人間とは、何か。
操り人形ならご存知であろう。マリオネットである。
操り人形の人間版が操り人間。至極明解。

発条ネコの名前をキンキュウジタイという。
発条ネコとは、何か。
発条仕掛けで動くネコである。スプリングキャットといえば、お解りか。至極単純。

2005年10月12日水曜日

金色のまどろみ

ココア湖のほとりできみと、ほお擦りしあった。
きみの頬っぺたはマシュマロみたい。
きみが照れた。ぼくも照れた。
マシュマロがココアに飛び込んだ。
温かいココアの中でマシュマロがとろける。

【金色】

2005年10月11日火曜日

最初の審判

臍の緒を腹からぶら下げたまま、その人はローズグレー色の目玉で私の顔を見つめている。
思慮深く冷静な視線で、私は観察された。

新生児の泣き声がする。

【rose grey C0M10Y20K50】

2005年10月9日日曜日

ウィスタリアのライン

 八歳の時、好きな子がいた。年下の子供だった。初恋と呼んでよいのか、どうか。
 ある日、ウィスタリアの三本のラインを地面に見つけた。あまりにもきれいだったのでラインを辿って歩くと三輪車に乗った子供がいた。
ドキドキした。
「見つけた」と思った。
その子が通ると、地面には三本のウィスタリアのラインが残るのだった。それはつまり、三輪車タイヤの跡なのだけれど。
 あの子に会いたいときにはウィスタリアのラインを辿った。あの子を見つけるといつもドキドキした。そして、後について歩いた。
時々あの子は振り向いて、笑った。
その瞬間だけ、ウィスタリアは途切れた。
もっとドキドキした。

【wistariaC50M45Y0K0】

2005年10月7日金曜日

お茶の時間

カップの中に、セルリアン・ブルーの小さな湖が広がった。
香りと味は、セイロンティーのそれなのに、何度も瞬きしても色は変わらない。
テーブルの向こうに座ってお茶を飲んでいる人形の瞳と同じ色だ。

【cerulean blueC80M0Y5K30】

2005年10月5日水曜日

天馬

「エルム」と私は馬を呼んだ。エルムグリーンの毛色をしていたからである。
エルムは年寄りの牝馬だった。ある日突然ひとりでやってきて、何十年も主がいない我が家の馬小屋に住み着いた。
エルムは無口な馬だった。声も滅多に出さず、気配も淡かった。
エルムに乗って草原へ入ると彼女の体は草葉に紛れ、
私は広大な草原を独りで浮遊しているような心持ちになった。
そんな時は半ば縋るようにエルムの首筋を撫でたものだ。
そうして自分とエルムが生きて確かめた。何度も何度も確かめた。
エルムと過ごした時間はそれほど長くはない。我が家へ来た時、すでに十分年を取っていたのだ。
だがエルムは、私の前では死ななかった。
一晩で羽根を生やし、最初で最後のいななきを響かせ、軽やかに飛びたっていったのだ。

【elm greenC0M0Y80K40】

2005年10月4日火曜日

毛糸玉

メイズ色した毛糸玉が籠山盛りにできた。
三年かけてやっとこさ貯めたタマネギの皮で染めたのだから玉蜀黍の色なんて言うのは笑っちゃうけど
出来上がった毛糸はメイズと呼ぶのにふさわしいような、ぽかぽかしたかわいらしい黄色になった。
猫が早速、籠の中に入ってじゃれている。

【maizeC0M15Y70K0】

2005年10月2日日曜日

涙の効果

褪せたセピア色の写真を見せると、祖母は泣いた。
涙は頬を伝って落ち、写真を濡らし
「ありがとう、もう十分」
とだけ言って写真を私に返した。
私の手には、鮮やかな天然色の祖母の青春があった。

【sepiaC0M36Y60K70】

2005年10月1日土曜日

外国から届いた手紙の話

「キナリ、手紙だよ。プキサからだ」
と船旅から帰ったばかりの船長が封書を差し出した。
長い名の絵かきは、異国へスケッチ旅行に出掛けている。
「あれ? 外国語だ……船長読んで」よし、と船長が読みはじめる。
「親愛なるエクルへ。ナンナルやチョット・バカリーは元気かい? こちらは寒い日が続いています。ヌバタマが喜びそうなおいしいミルクを毎晩温めて飲んでいます。――今日描いた小品を同封します。今暮らしている部屋から見た風景だよ。満月の晩に。プキサより」
少女は尋ねる。
「エクル? キナリに来た手紙じゃないの?」
「もちろんプキサがキナリに書いた手紙だよ。エクルはフランス語でキナリという意味だ」
「エ、ク、ル……エクル……」
少女はその名前が「キナリ」の次に気に入った。
「ねぇ、ナンナル。エクルって呼んでみて」
月は、ひどく照れた。

【ecru beigeC0M8Y20K4】