2005年12月29日木曜日

望みの雨

「こちらへどうぞ」
と扉の前に案内された。
町の真ん中に扉だけポツンと。だが、あるべくしてある、というようなたたずまい。
私はちょっと雨に当たりたかった。
頭を冷やすためのような気もするし、アンニュイな気分に浸りたいからかもしれない。
どちらにせよ、そんな気分になるのが馬鹿馬鹿しいような天気だ。
太陽はひたすらに照り、空はどこまでも青い。
扉を開けると、しとしとと雨が降っていた。
周りの景色は何も変わらない。ただ一歩前に出たかのように。
しばらく辺りを歩いてみた。どんよりとした雲、沈んだ町の様子、なにもかも希望通りの雨。
気付くと扉は失くなっていたが、私の心は晴れ晴れしい。

時空

「1779.6.18」
とシールが付いている。私の字だ。
小さな瓶の中にはこの日付けの雨が入っている。
未来の自分のために、私は雨を瓶に詰めたのだ。
これを飲むと、どうなるか……どうもなりはしないだろう。
何年も経った雨水だから腹を壊すかもしれないが、ほんのわずかな量だ。
一度下痢をするかしないか。

2005年12月27日火曜日

代償

「びしょびしょじゃないか。どうしたんだ?」
というと妻は困った顔した。
「だって……」
リビングが水浸しなのだ。
彼女が格闘していたのは、娘が作ったてるてる坊主である。
明日は遠足だというのに、昨晩からの雨が止みそうにない。
娘は真剣にてるてる坊主を作っていたそうだ。
ところが、どうしてもひっくり返って頭が下になってしまうというのだ。
妻は娘が寝てからも、糸を付け直したり、頭の詰め物を減らしたりと手を尽くした。
ようやく安定したてるてる坊主が出来上がり、窓際に吊すと途端に部屋の中で雨が降ったという。
「でも、うちの中で降っている間は、外の雨は止んでいるの」
妻の指は、逆さまにてるてる坊主を摘んでいる。
こうしていれば部屋の中では雨は降らないが、外はザアザア降りだ。
「どうしよう……遠足」
私は妻の手からてるてる坊主を取り上げ、風呂場に向かった。
私はてるてる坊主をシャワー掛けに吊し、入浴した。
雨とシャワーに降られたティッシュペーパー製てるてる坊主は、無残な姿で床に落ち
恨めしそうに私を見上げた。

2005年12月25日日曜日

すれ違い

煙るような雨だ。あまりに細かい雨で傘は何の役にも立たない。髪や服がじっとりと重たく、しみじみと寒いことだけが、雨の証。
さっきから僕の後をつけている人がいる。
何度か振り向いたけれど、煙雨が視界を悪くしているから顔は見えない。
思い切って回れ右をした。近づいて「何か僕に用ですか」と言ってやろう。
少し歩を速めて見たが、なかなか出会わない。
相手もこちらを向いて歩いているのに。
早く顔を見たくて小走りになる。
でも、距離は縮まらない。
息が上がるほど走っているのに、景色は変わらない。僕が吐く息よりも白く煙る雨のせい。
雨はまだ、止みそうにない。

2005年12月24日土曜日

佇む三輪車

驟雨の中、三輪車が途方に暮れている。
坊ちゃまは急な雨に驚いて走って帰ってしまった。果てさて、どうしたらよいものか。
坊ちゃまは大分大きくなったから、迎えにきてくださらないかもしれない。
昨日もパパ上に「自転車が欲しい」と言っていたっけ……。
三輪車は濡れた坂道を転がり出した。

2005年12月22日木曜日

ご自慢の傘

銀座の街を老紳士がフキの葉の傘を差して歩いていた。
仕立ての良さそうな服に包まれ、速くも遅くもない歩調で進む彼は、実に雨の銀座にお似合いだ。
「結構な傘ですな」
と話しかけると、老紳士はにっこりと微笑んだ。
「貴方こそ良い傘をお持ちじゃございませんか」
愛想のない黒い私の傘は、青々としたフキの葉になっていた。

2005年12月20日火曜日

雨呑み

じっとりと蒸し暑い雨が盛大に降る中しゃれこうべと出くわした。
汗と冷や汗と雨で濡れたシャツは肌に張り付いた。
しゃれこうべは、お喋りだった。
「こんな腐った雨の日だから俺はお前と話しができるんだ。カッカッカッ」
歯を鳴らしながら「幸運だ」と喜んだ。
「ケイサツに届けないと…」
とぼそぼそと言うと
「はあ?俺は死体じゃないぜ?」
と宣う。
雨は本当に腐っていた。鼻にツンとくる。息をするのも辛い。
「この雨は美味いぞ、呑んでみな。チーズのような…おい、アテはないか?」
呆れた僕は回れ右をして歩きはじめた。
「するめ買ってこいよ~雨が止む前に!」
ヤダね。

2005年12月19日月曜日

白い着物

早朝の天気雨はキツネが出るぞ、とすれ違いざまに老人が言った。
「は?」
振り返るとそこに老人の姿はなく、若い女がいた。
その白い着物が花嫁衣装だと気付くのに、ほんの少し間がかかった。
この子はどこぞの野郎と結婚するのだ、と理解しつつ僕は迷わず女の衿に手を入れ「死装束でなくてよかった」と呟いていた。
その途端、雨と女は消えていた。
手のひらには乳房の感触と金色の毛が残った。

2005年12月17日土曜日

昇りたい昇りに昇る

電信柱にしがみつく少年に尋ねる。答えはわかっていたが。
「何してるんだい?」
「雨、待ってんの」
「雨? 昨日降ったばかりじゃないか。」
「あれは違った」
少年の視線は雲を射るように鋭い。
「……ふーん。疲れないか?」
「ここは、すこし高いから。雨が来るのが見える」
「そうか」
私はそれしか言わなかった。少年を見て、私は四十年前の自分を思って笑った。こんなに間抜けな姿で雨を待っていたのか、俺は。
「じゃあな……雨、来るといいな」
「うん」
少年は私を見なかった。下を見ると怖いんだよな、と私は呟きながら立ち去る。

2005年12月16日金曜日

とまどいの傘

ジロじぃさんは、傘を杖代わりにして歩いている。
「よぉ! ジロじぃ。午後から雨だってよ」
と声を掛けると
「そりゃ大変!折りたたみ傘を持って行かねば」
と言う。
「傘なら持ってるじゃねえか」
オレがからかうとじぃさんは真面目な顔で
「これは杖! これをさしたら歩けないだろうが」
と言う。
午後四時、予報通りの雨の中、目一杯伸ばした折りたたみ傘を杖代わりにして歩くジロじぃさんがいた。

2005年12月15日木曜日

雨の日のおまじない

「ほら」
と雨の中駆け寄って来た彼女が手を開くと雨粒小僧がいた。
この同級生は、どうして僕にコレを見せるのだろう、と訝しがりながら
はじめて見る雨粒小僧にしばらく見とれていた。
小僧は不貞腐れた顔で胡座を掻いている。
「こいつの頭、撫でてみ」
と言われて僕は恐る恐る人差し指で小僧の頭を撫でた。見る見るうちに小僧の表情が和らいだ。
彼女は優しい顔になった雨粒小僧を左耳にグイグイと突っ込んでしまった。
「ナニしてんだよ?」
「これでキミの声がいつでも聞ける」
同級生はバシャバシャと水溜まりも避けずに駆けていった。

2005年12月14日水曜日

むかしばなし

森の中で雨が降って来たの。そうしたら、いつもは薄暗い森が、ぱぁっと明るくなった。
町で雨が降る時とは逆ね。町は雨が降ると暗くなるでしょ?
雨粒はキラキラ輝いてた。私は服を全部脱いで、雨を浴びたの。手足も顔も真っ黒に汚れていたからね。森の雨はどんなシャワーより気持ちよかったのよ。
身体もすっかりきれいになって、クルクル回ると、小さな虹ができた。だから何度も回った。ずっと回ってたら目眩がして倒れちゃった。
森の中で寝転んだことがある?繁った葉の合間から、光と雨粒が降り注ぐの。雨がやむまでそうしていたかったけど、邪魔が入ったのよ。がっかりでしょう?
続きは、パパに聞いてらっしゃい。

2005年12月13日火曜日

Rain‐Boots ☆Boogie-woogie

雨が降ると靴箱の中の長靴が騒ぎだす。散歩前の犬みたいに興奮する。
靴箱から出してやると長靴はタップを踏みはじめる。
実に軽やかでジェントルマンだ。右足と左足、息もピッタリ。
雲よりもどんよりとしていた僕もウキウキしてくる。
さあ、長靴くん! お気に入りの傘を持って雨の街に繰り出そう。

2005年12月11日日曜日

話の途中

 雨が降ったら、おしまい。
と言って、おじさんは紙芝居を始めた。
うさぎの耳の付いたシルクハットを頭に載せ、右手で紙芝居を、左手で台車に載った大きなオルゴールを操る。
音楽に合わせて調子よく紙芝居を読んだ。
おじさんの瞳は赤かった。この街は、いろんな色の目をした人がいるけれど赤い目を見たのははじめてだった。
 雨はなかなか降らなかった。
おじさんは昼は子供向け、夜は大人向けの紙芝居をした。
子供はきっかり7時で追い出された。
「時間だ!お家へお帰り、坊ちゃん嬢ちゃん。また明日」
大人ではなかったけれど子供でもなかった僕は追い出されずに済んだ。
夜の紙芝居を見る時、僕は自分の顔が赤くなるのを必死で隠さなければならなかった。
そんな時に目が合うと、おじさんの目はピカリと輝いた。
 雨が降ったのはおじさんが来てから8日目の夜中だった。
「雨が降ったからおしまい」
お話の途中だったのに、右手に傘を、左手に紙芝居を持って、オルゴールに跨がって赤い目のおじさんは消えた。

2005年12月10日土曜日

誰のおかげか

じいちゃんはその年はじめて降った雨水を溜める。
一月の雨、これ以上ないくらいに寒いのに傘も差さずに庭に出てガラスの器を置く。
溜まった雨水でじいちゃんは、墨をするのだ。
じいちゃんの字は自分でも読めないほど汚いのだが
雨水で書いたじいちゃんの書は、何百万で売れる。
俺には、さっぱりわからない。
じいちゃんも、さっぱりわからないそうだ。
ちなみに、じいちゃんが使っている硯と墨と筆は、俺の教材のお下がり(お上がり?)だ。

2005年12月9日金曜日

百年の恋

「モンドくん、モンドくん明日の天気はどうだね?」
とレオナルド・ションヴォリ氏が言うので主水くんは鉛筆片手に無線機に向かった。
主水くんは、熱心にノートに何やら書き留めてから無線機のスイッチを切り、ションヴォリ氏に告げた。
「博士、明日の降水確率は80%、薔薇の香りです」
ションヴォリ氏は飛び上がって喜ぶ。
「ほっほーい!」
翌日、薔薇の香りの雨がしっとりと降る中、ションヴォリ氏はばら色のスーツにばら色のレインコート
ばら色の長靴にばら色の傘を差し、薔薇の花束を抱えて、墓参りに出かけた。
初恋の人、ロザンナに会いに行くために。
レオナルド・ションヴォリ氏は、じいさんだ。
どれくらいじいさんかと言うと、年がわからないくらいのじいさんだ。

2005年12月7日水曜日

表情

銀杏の葉がすっかり落ちて、道が眩しい。
そこを目の前にして、僕は立ち止まる。昨日、雨が降ったから。
人に踏まれ雨に濡れた銀杏の葉に、僕の恋人は飲み込まれた。ちょうど一年前。
ぬぼぬぼ ぬぼ ぬぼ
一瞬前まで「黄色い道だよ」とはしゃいでいた彼女は黄色い道に沈んで消えた。
ここを通れば、彼女に会えるのかもしれない。
だけど、僕は行かない。
沈んでいく彼女の表情は、見たこともないくらい恍惚として醜かった。
僕はあんな顔をさせられないし、見たくもないから。
僕はくるりと向きを変えて歩きはじめた。
空が青い。

2005年12月5日月曜日

追い雨

突然の大雨で町はちょっとした騒ぎになった。
天気予報士は「一日中晴れ」と自信満々だったのに、この雨。
その雨の中を堂々と歩く紳士がいた。
傘はなく、スーツは色が変わり、歩く毎に靴から水が溢れる。
だがそれを気にする様子はない。
雨はそれが面白くて仕方ない。夢中で紳士を追い掛ける。

2005年12月4日日曜日

馬鹿げた話

「かたつむりが傘差して歩くくらい可笑しなことはないね!」
と親父が言った。
傘を差して歩く親父の禿頭の上をかたつむりが歩いている。

2005年12月3日土曜日

拾いもの

雨の日の晩に男の子を拾った。
段ボールの中でうずくまって震えていた。
髪から滴が落ち、頬は真っ白。
大きな黒目でじっとこちらを見ている。
連れて帰り、びしょり濡れた身体を拭いてやった。
いくら拭いても彼の身体は濡れたままだった。
タオルを何枚も使って身体中を拭いた。
男の子は黙って立っている。そういえばこの子の声を聞いていない。
タオルを持つ手にだんだん力が入らなくなってきて
「おかしい」と思った瞬間に、男の子は消えてしまった。
後には床の水溜まりとぐっしょり重いタオルだけ。
私は何をしてたのだろう。

2005年12月2日金曜日

紳士のたしなみ

前夜からの雨がいよいよ強くなってきた時、ウサギが訪ねてきた。
玄関を開けると、傘を差し長靴を履いたウサギがニッコリと微笑み
「とんだお天気で」
と言った。
ウサギも傘を差すのか、と感心しながら中へ招くと
ブルッと身震いして水しぶきを私に浴びせる。
「傘を差してきたのに、なぜ身震いするのだ」
と文句を言うと
「余所様のお宅に上がる時のエチケットだ」
とのたもうた。

2005年12月1日木曜日

退屈な雨の日

雨粒氏が言うには「アクビってのは実によくできている!素晴らしい!」
ぼくは、適当に相槌を打ちながらアクビをした。
「ハラショー!ブラボー!ワンダフル!」
雨粒氏が騒ぐからまたアクビが出る。