2009年5月31日日曜日

月を彩るものたち

雑貨屋で見つけた袋入りの青い硝子のビーズは、店主によると「アンティークだ」そうだ。
気に入った一袋を求め持ち帰り、金魚鉢に入れ、水を注いだ。
金魚はいない。ただビーズだけが底にある。

夜になると、なにやら金魚鉢が騒がしい。
「今夜は満月だ」「満月だ」
と口々にビーズが言う。ビーズも大勢いると声は大きくなるらしい。
ベランダに金魚鉢を置くと、ビーズたちがうっとりとするのが手に取るようにわかった。運んできたばかりだというのに、金魚鉢の水はぴたりと波を鎮める。
「なぜそんなに月が好きなんだ?」
と呟くと
「我々は月の女神セレーネのネックレスである」
といきなり仰々しく声を揃えて言うので、笑った。ほんとかしらん?
ともあれ、確かに銀色に輝く満月によく映える青だ。
そういえば、しばらく月を眺めていなかった。

(341字)

2009年5月29日金曜日

クラゲの詩

僕の恋人は小さなクラゲを胎内に飼っていた。
「やさしくしてね」
抱き合う度に真剣な眼差しでこう訴えるのは、奥に棲むクラゲを驚かせたり傷つけたりするな、という彼女の命令。だけど僕にはクラゲがいる感触などわからない。

ある朝、彼女は突然海に行くと言い出した。クラゲの命が終わりに近づいているという。最後に海に帰してやりたい、と。
僕は、涙を浮かべながらお腹を撫で続ける彼女を助手席に乗せ、海に向かった。

誰もいない浜辺で、僕の恋人は裸になる。まだ冷たい海に入り、クラゲを産み落とすのだという。
独りになりたいから帰って欲しいと彼女は言った。
僕は逆らえない。彼女を海に残し部屋に戻る。

あれから一週間経つのに、僕の恋人は戻らない。まだクラゲを産めずにいるのだろう。きっとそうだ。

(329字)

2009年5月28日木曜日

クジラのことを考える

溺れるのは苦しすぎるから、ただただ水を飲み込んだ。
海の水は、本当に塩辛い。すぐに飲み込むことも苦しくなった。おなかが破裂する。
「じゃあ、ぼくの仲間になるかい?」
声を掛けてきたのは、海洋性動物プランクトンだった。小さいの。名前は知らない。
わたしは少し考えてから、こう答えた。
「プランクトンになったら、きっとわたしヒゲクジラに食べられるのね。シロナガスクジラがいいな」
もう苦しくない。

(190字)

2009年5月26日火曜日

憂鬱な水中花

僕は水中で咲く花だ。憂いと息苦しさを糧に咲く花だ。
淀んだ沼の中も、澄んだ水の中も、苦しさはたいして変わりない。もちろんヘドロを問題にするなら、沼は実際辛いだろう。水中はどこでも苦しいのに、沼はその上汚くて臭い。ただ、そのぶん咲いた花は派手なはずだ。その代わり、花開いた姿を誰かに見せびらかすことはできない。たまにアメリカザリガニが通るだけだ。だから、どうせ沈むなら泉のほうがいいと言う花は多いよね。
海はやはり深いから、沼とも泉とも違う。どこまで沈めば花が咲くのかわからない。
わからないわからないと憂いながら潮に流され、流されたままいつのまにか花が咲いた。
咲いたというのにまだ流され、沈む。
一体どこまで沈むのか。花が開いたまま沈むとどうなるのか、わからないわからない。僕の身体に、もうひとつ憂いの蕾があるのか。わからないわからない。

(365字)

2009年5月25日月曜日

地球がまるごと夜だった日

地球がまるごと夜だった日、水も眠りこけた。
波が静止した海と流れない川、けれど固まったわけではなく、何故かとても澄みきっていた。

(64字)

2009年5月24日日曜日

魚影

彼の影がチョウチンアンコウ型をしているのに気が付いた時は、とてつもなく驚いた。
けれど、あんまりくっきりとチョウチンアンコウなので、彼の足元にじっと見入ってしまう。
「おや、もうバレちゃったの?」
と彼は笑い、私の頭をくしゃくしゃと撫でる。影のチョウチン部分がふるふると揺れる。
「水がなくても、大丈夫なの?」
彼にでもなく、チョウチンアンコウ型の影にでもなく、なんとなく呟いた。

(185字)

2009年5月23日土曜日

水槽に住む人

いつからか、君は水槽で暮らすようになった。大勢の熱帯魚が暮らしていた水槽に断りなく入り込み、繊細な熱帯魚たちは、たちまち一人残らず死んでしまった。
相変わらず君は饒舌だけれど、水槽越しに聞く君の声はごぼごぼしていて、何を言っているのか、ちっともわからない。
君は水槽の硝子に手を付けてこちらを見つめ、口付けようとする。はじめのうちは応えようとしたけれど、硝子越しの接吻には何の意味もないと気付いてからは、やめた。
それでも、君は何事か訴えようとする。わからない。通じていないことをもどかしく思っているらしいことだけは、わかる。じゃあ、なぜ水槽の住人になったのと訊ねる。その答えもごぼごぼしていて理解できない。

(301字)