2009年6月13日土曜日

六月十三日 捜索中

ポストは雑木林を彷徨うから、いつも探すのが大変だ。今日みたいな日は、とりわけ鬱蒼として、おまけに蚊柱が行く手を阻む。
私は一体何をしているんだっけ?

(73字)

2009年6月12日金曜日

どういうわけか、干からびた。

どういうわけか、枯れない水溜りがあるのである。
東京の、どこかの、アスファルトの上。
どういうわけか、太陽はその水溜りが気になって仕方がない。
太陽は、がんばる。張り切った。
そして、少々張り切りすぎた。水溜り以外全部、干からびた。
田んぼはカラカラ、森はパサパサ。
太陽は反省したので、雨雲を呼ぼうとしたけれど、雲さえも、雲を生む海さえも干からびてしまったから、もうおしまい。
けれども水溜りだけは相変わらず水深1.3センチを保っている。

(213字)

2009年6月10日水曜日

楽天家たち

静かな静かな洪水だ。
人々は思い思いの浮き輪や筏を使い、流れに身を任せた。
街を飲み込み、家々を超す水位になったというのに、濁流となることはなかった。水はあくまでも透明なまま、ゆっくりと流れている。
人々は街を水上から覗き、眺めた。水中の信号機、水中の街路樹、水中の郵便ポスト。

「我々はどこに行くのだろう」
誰もが口にしたが、知る者はいない。
「我々はどうなるのだろう」
誰もが口にしたが、泣く者はいない。

(197字)

2009年6月8日月曜日

隠遁

井戸は僕を隠してくれる。
真っ暗で深くて、水が身体を冷やしてくれるから好きだ。
誰にも逢いたくないときは、井戸に飛び込めばいい。
そう教えてくれたのは、ほかでもなく井戸だった。
いつでもいらっしゃいと言う井戸は菩薩さまよりやさしい。
でも天狗だけは、いつも僕を見つけてしまう。
「出たくない。ここは気持ちがいいから」
と天狗に食いついても、天狗は大きな嘴で僕の首根っこを咥えて井戸から引きづり出す。
井戸から出る瞬間、眩しさと切なさに目が眩む。
心地よかった水が、すべて僕の身体から離れてしまう。
「いつまでも井戸にいたら、お前も井戸も枯れてしまう」
何度諭されても、その意味がわからない。
泣き叫ぶためにまた僕は井戸に飛び込む。少し水が温いような気がする。

(317字)

2009年6月7日日曜日

悪臭の思念

汚水は、進むほどに記憶を失っていく。
雨、屎尿、排水……はっきりとした経歴を持っていたのにも関わらず、全てが混ざり、流れ、混沌とする中で悪臭は増しに増し、汚物をさらに引き寄せる。

鼠は前歯が伸び続けて困っている。コンクリートの地下道の壁で歯を削ろうと試みるが、ふいに津波のように押し寄せてきた汚水の波に飲み込まれてしまう。
長い長い前歯に人間の髪の毛が絡むのを感じながら、なぜ急に汚水が増大したのだろうかと不審がる。
答えなど見つかるはずもなく、鼠もまた汚水の一部となり、そこで鼠の思考も停止した。

(245字)

2009年6月4日木曜日

聴きたい歌があるんだ

ボリューム上げて、歌声だけを脳ミソに流し込む。

今聴きたい歌は何?
雨雲がからかう。雨音に負けないくらいボリューム上げる。安物のイヤホンを突っ込み直す。

歌を歌う人よ、聴かせて欲しい。
刹那の恋の歌じゃなく、痛みの先にある慈しみを。
あの人の手のひらが、やさしすぎたから。

雨雲の嘲笑は止まない。雨音はますます強く。けれど、もう迷わない。歌声しか聴かないと決めたから。

(178字)

京都フラワーツーリズムのHP、「ノベルなび」に二作目「戻ル橋」が公開されました。

2009年6月1日月曜日

愛の雫

豊かな森の中には湧水がいくつもある。愛し合う神が抱き合い、雫が滴るから泉が湧く。
いつか山歩きの途中で出会ったお婆さんが言っていた。
神様っていっても男と女だろ、永く見つめ合ってたら、火花が散ることもあるだろうにねぇ。お婆さんは悪戯っぽく笑った。

それ以来、ぼくは火打ち石を持って山に入る。湧水を見つけると、カチカチと石を鳴らして手を合わせる。神様たちの代わりに火花を出すのだ。
だってほら、いつまでも存分に愛し合っていてもらわなくちゃ、水が飲めなくなってしまうから、ね。

(232字)

京都フラワーツーリズムのHP、「ノベルなび」に拙作「はかなげな」が公開されました。哲学の道が舞台です。子供の頃に行った京都での思い出を元に書いたものです。
ノベルなびのこと、京都新聞にも記事が出たそうです。