2009年6月30日火曜日

生の煮魚

沸騰滝。地下のマグマが地下水を熱し、噴き上げる。山肌に到達した熱い地下水は湯気を上げながら勢いよく崖を落下する。
滝壺に棲む魚は、湯の中を濁った眼で泳いでいる。
ここの魚は美味いらしいが、もはや初めから煮魚で、煮ることも焼くことも、捌く必要すらなく、もくもくとした湯気が立ち込める中、釣ったばかりの魚を箸でつっつき、つっつき食するのだ。

(166字)

2009年6月29日月曜日

エンドレス

海辺で拾ったトランプにはクラブの9が、なかった。
「これはきっと、小さい女の子人魚の持ち物ね」
そうなの? そうなのかな? 人魚の女の子ったら、クラブの9をどうしちゃったんだろう。
「食べちゃったんじゃないかな」
僕たちは砂浜にトランプを並べて神経衰弱を始めた。終わらないゲームを、何度も何度も繰り返す。これからも、ずっと。

(156字)

2009年6月27日土曜日

再生

蜘蛛の糸が縦横に張り巡らされた白い部屋に私はいる。露で濡れた糸は偏光パールのような輝きをするからとても綺麗。私は糸を切らないように、露を零さないように、じっとしている。
「あ」
私は初めて声を出した。何を思ったのか、何を感じたのか、知る暇もなく声は口から飛び出していた。
声が衝突して、一本の糸が痺れるように振るえた。振動は糸から糸に伝染して、部屋中の糸がびりりと振るえはじめた。
振動する糸から露は全部零れ部屋を満たす。透明過ぎるその水に私は溺れた。溶けていくのが解る。
目覚めると、私はこの部屋を張り巡る糸になるのだ、きっと。

2009年6月23日火曜日

営み

紐のない運動靴、ヒトデの死骸、割れたワインの瓶、海草の絡まった魚網、ラブレターの切れ端。
恋人が海から拾ってきたものたちを、僕はひとつひとつ標本にする。日付をつけて。
罅だらけの浮、滑らかな流木、ふやけた聖書、大量の貝殻。
僕が標本にしたものたちを、恋人は標本をひとつひとつ海に捨てに行く。波にそっと浮かべて。
指を咥えたルンペンが恋人の姿を浜辺から眺めているのを、僕は気にしない。

(187字)

2009年6月22日月曜日

生まれる

こんなに居心地がよいところを出なくちゃいけないなんて、世の中理不尽なんだな。
僕はどういうわけか、瓶をひとつ持っている。大きな瓶だから、お母さんは大変だと思うけれど、僕は瓶にここの水を入れて外に出ようと思う。
外に出てからも、お母さんの海を大事に大事に飲むんだ。

(129字)

もっといろいろ描写をしたかったはずなんだけど、なんか、こう、めんどくさくなっちゃった。(ダメ)

……蒸しますなぁ。頭も身体もかったるくっていけません。
どろどろと溶けて昏睡したい(?)
クエン酸かレモン汁を入れた水を飲んで、水分補給しとる。

2009年6月20日土曜日

霧の中

向こうの山が朧に白い。霧が深いのに妙に空が明るいのは、月が丸いからだろう。
霧は尋常じゃないほど深い。服は絞れそうなほどぐっしょりと重たい。心なしか息をするのも苦しい。
今、此処は水中でもなく、空中でもないのだ、きっと。
いくら明るいとはいえ山道の足元は暗い。一歩先の地面はぽっかりと穴が空いているやもしれぬ、そんな恐怖を打ち消し打ち消し、歩を進める。
どこに向かっているのか、わからない。けれども隣には君がいる。それは望んだことだから、幸せなことだ。
君は何も言わずに、この湿気がこれ以上なく飽和したこの道を、とぼとぼと歩いている。
せっかく二人で歩いているのだから、と少し強引に手を取った。握り返す力に安堵しながらも、そういえば手を繋いで歩くのは初めててだな、と気が付く。
また少し霧が重くなった。

(344字)

2009年6月18日木曜日

六月十八日 初めて見上げた空

初めて見る空の色は覚えていない。
希望も夢も見ないと決めた。
けれど、世の中はただただ鮮やかに、目まぐるしい。

(53字)

2009年6月16日火曜日

パイロットは大変だ

海中を飛ぶ飛行機は大変だ。エイだのサメだのマグロだのイルカだのが、なぜだか飛行機に対抗するから、パイロットの気苦労は絶えない。
飛行機というものが、もともとは空を飛ぶヤツだと知ったイルカだのエイだのマグロだのサメは、ついに空に進出して雲のまにまにぐんぐん泳いでいるから、やっぱりパイロットは気が気じゃない。

(152字)

『「おまえだ!」とカピバラはいった』斉藤洋 を読んだ勢い。
マンタが高層マンションの窓をすり抜けて少年を訪ねる話です。(乱暴な説明)
にしても、小学校中学年くらいから読める本で、そこはかとなく「スケベオヤジ心」が滲みでているんだけど(笑)。

2009年6月15日月曜日

芳しい天気

昔はしとしと降るものだった、梅雨の雨は。何だってこんなタチの悪いどしゃ降りになるんだろう。
雨が降る直前の埃っぽくて湿った匂いは、決して嫌いではなかった。九歳の時、それを詩に書いたくらいだ。
以来、僕は天気を読む時は鼻をひくひくさせるようになった。あの詩を書いたときの気分をいつでも思い出したいから。
太陽の匂いも大好きだけれど、それは子供の頃と変わらない。
あの、梅雨の雨の前の匂いは、もう四年も嗅いでいない。

(202字)

2009年6月14日日曜日

珊瑚礁の向こう側

人工珊瑚礁の海辺で、母さんは僕を産んだという。
「それはそれは神秘的な光景だったさ。満月の夜でな、人工珊瑚も産卵していた。母さんは、とても苦しんでいたけれど、とても綺麗だった」
父さんは、砂浜から僕が産まれるのを眺めていたそうだ。
けれど、母さんは僕を産んで、最初のおっぱいだけを飲ませた後、海に帰ってしまった。人工珊瑚礁よりもっと沖の深い深い海に。
どうして僕を置いていったのだろう。
父さんは、相変わらず母さんが好きで、うっとりと同じ思い出話をする。
逢えないのに、寂しくないの? 置いていかれて、怒っていないの?
何度も何度も訊いたけれど、答えはいつも同じ。
「だって母さんは海の人だから。お前もいつか、海の人と愛し合うのさ」
だけど、僕は海が怖い。もうすぐ十二歳になるというのに。
人工珊瑚は整然としすぎている。この海で僕は泳ぐことができない。

(365字)

2009年6月13日土曜日

六月十三日 捜索中

ポストは雑木林を彷徨うから、いつも探すのが大変だ。今日みたいな日は、とりわけ鬱蒼として、おまけに蚊柱が行く手を阻む。
私は一体何をしているんだっけ?

(73字)

2009年6月12日金曜日

どういうわけか、干からびた。

どういうわけか、枯れない水溜りがあるのである。
東京の、どこかの、アスファルトの上。
どういうわけか、太陽はその水溜りが気になって仕方がない。
太陽は、がんばる。張り切った。
そして、少々張り切りすぎた。水溜り以外全部、干からびた。
田んぼはカラカラ、森はパサパサ。
太陽は反省したので、雨雲を呼ぼうとしたけれど、雲さえも、雲を生む海さえも干からびてしまったから、もうおしまい。
けれども水溜りだけは相変わらず水深1.3センチを保っている。

(213字)

2009年6月10日水曜日

楽天家たち

静かな静かな洪水だ。
人々は思い思いの浮き輪や筏を使い、流れに身を任せた。
街を飲み込み、家々を超す水位になったというのに、濁流となることはなかった。水はあくまでも透明なまま、ゆっくりと流れている。
人々は街を水上から覗き、眺めた。水中の信号機、水中の街路樹、水中の郵便ポスト。

「我々はどこに行くのだろう」
誰もが口にしたが、知る者はいない。
「我々はどうなるのだろう」
誰もが口にしたが、泣く者はいない。

(197字)

2009年6月8日月曜日

隠遁

井戸は僕を隠してくれる。
真っ暗で深くて、水が身体を冷やしてくれるから好きだ。
誰にも逢いたくないときは、井戸に飛び込めばいい。
そう教えてくれたのは、ほかでもなく井戸だった。
いつでもいらっしゃいと言う井戸は菩薩さまよりやさしい。
でも天狗だけは、いつも僕を見つけてしまう。
「出たくない。ここは気持ちがいいから」
と天狗に食いついても、天狗は大きな嘴で僕の首根っこを咥えて井戸から引きづり出す。
井戸から出る瞬間、眩しさと切なさに目が眩む。
心地よかった水が、すべて僕の身体から離れてしまう。
「いつまでも井戸にいたら、お前も井戸も枯れてしまう」
何度諭されても、その意味がわからない。
泣き叫ぶためにまた僕は井戸に飛び込む。少し水が温いような気がする。

(317字)

2009年6月7日日曜日

悪臭の思念

汚水は、進むほどに記憶を失っていく。
雨、屎尿、排水……はっきりとした経歴を持っていたのにも関わらず、全てが混ざり、流れ、混沌とする中で悪臭は増しに増し、汚物をさらに引き寄せる。

鼠は前歯が伸び続けて困っている。コンクリートの地下道の壁で歯を削ろうと試みるが、ふいに津波のように押し寄せてきた汚水の波に飲み込まれてしまう。
長い長い前歯に人間の髪の毛が絡むのを感じながら、なぜ急に汚水が増大したのだろうかと不審がる。
答えなど見つかるはずもなく、鼠もまた汚水の一部となり、そこで鼠の思考も停止した。

(245字)

2009年6月4日木曜日

聴きたい歌があるんだ

ボリューム上げて、歌声だけを脳ミソに流し込む。

今聴きたい歌は何?
雨雲がからかう。雨音に負けないくらいボリューム上げる。安物のイヤホンを突っ込み直す。

歌を歌う人よ、聴かせて欲しい。
刹那の恋の歌じゃなく、痛みの先にある慈しみを。
あの人の手のひらが、やさしすぎたから。

雨雲の嘲笑は止まない。雨音はますます強く。けれど、もう迷わない。歌声しか聴かないと決めたから。

(178字)

京都フラワーツーリズムのHP、「ノベルなび」に二作目「戻ル橋」が公開されました。

2009年6月1日月曜日

愛の雫

豊かな森の中には湧水がいくつもある。愛し合う神が抱き合い、雫が滴るから泉が湧く。
いつか山歩きの途中で出会ったお婆さんが言っていた。
神様っていっても男と女だろ、永く見つめ合ってたら、火花が散ることもあるだろうにねぇ。お婆さんは悪戯っぽく笑った。

それ以来、ぼくは火打ち石を持って山に入る。湧水を見つけると、カチカチと石を鳴らして手を合わせる。神様たちの代わりに火花を出すのだ。
だってほら、いつまでも存分に愛し合っていてもらわなくちゃ、水が飲めなくなってしまうから、ね。

(232字)

京都フラワーツーリズムのHP、「ノベルなび」に拙作「はかなげな」が公開されました。哲学の道が舞台です。子供の頃に行った京都での思い出を元に書いたものです。
ノベルなびのこと、京都新聞にも記事が出たそうです。