少年は静かに弓を降ろした。
「うまいもんだね」
私はヴァイオリンケースに硬貨を投げ入れながら言った。
「ありがとう」
「その帽子もいいね。年季が入っている」
少年はボロボロのチロリアンハットを被っている。
「これはヴァイオリンよりも大切なんだ」
「どうして?」
「これがないと、上手く弾けない」
「帽子がないとダメだなんて、インチキだろう。さっきのコインは返してもらうよ」
「待ってよ、おじさん。帽子が特別なわけじゃないんだ」
私は疑り深い。あんなに汚れた帽子には、なにかがあるはずだ。
「そうか・・・じゃあ、私にもヴァイオリンの心得がある」
私は少年から帽子と楽器を奪いとった。
しかし、ヴァイオリンから出てきた音色は大したことはなかった。うまくもなく、へたでもない、私のいつものヴァイオリン。冴えないヴァイオリン。どこの楽団からもお呼びがかからない、私のヴァイオリン。
「ほらね」
少年はヴァイオリンだけを私から取り返し、一節弾いてみせた。
先と変わらないすばらしい音色が響く。
「帽子はね、お守りみたいなものだよ。じいちゃんも、とうちゃんも、これを頭に乗っけて稼いだ」
少年はチロリアンハットを私の手からもぎ取り、ヴァイオリンをケースにしまうと、走って行った。