2016年12月22日木曜日

豆鉄砲

 目覚まし時計より早く目が覚めたのは、息苦しさを覚えたからだった。深呼吸をしようとして、やっぱり息苦しい。そしてなんだか視界が暗いというか狭いような気がして、目を擦ろうとした。が、手に触れたのは瞼ではなかった。なにか硬いもの。
 家族を起こさないように慎重に起き上がって、洗面所に行く。狭い視界で鏡を見て、「んあっ!」とよくわからない声が出た。鬼がいた。
 鬼面が顔に張り付いているらしい。恐ろしい顔の鬼だった。
 外そうとしたけれども、外れない。引っ張っても痛くはない。狭くて暗い視界、少しの息苦しさ。お面と顔の間には隙間、確かに隙間があるのに、ぴったりと吸い付いているかのように動かない。
 家族が起きだすまでにどうにかしなくちゃならない。子供たちはきっと大泣きするだろう。通報されるのを覚悟で外に出てみることにした。
 まだ暗い外には、人の気配はなかった。なんとなく鳩公園のほうに歩いた。鳩公園にはたくさんの鳩がいて、それはもう、おびただしい数の鳩なのだ。不気味なのだろう、遊んでいる子がいるのを見たことがない。
 早朝にも関わらず鳩公園には足の踏み場もないくらいに鳩がいた。公園に一歩踏み入れると、一斉に鳩がこちらに注目した。背筋が凍る。

ババババババババババババ

 顔に何かが命中する。すごい数だ。

ババババババババババババ

 小さな粒がお面に当たっているようだ。目に入る心配はないのに、ぐっと目を閉じ、歯を食いしばる。
  唐突に音が止み、顔が軽くなった。そっと目を開けると、何食わぬ顔の鳩たちと、足元には散乱した大豆。そして、鬼の面。

氷砂糖さん企画 #同じ骨

2016年12月18日日曜日

十二月十八日 作戦:夕食

ここのところ、夕食中に何者かによる攻撃を受け、なかなか落ち着いて食べることができずにいた。
これまでの作戦としては、「何者かを監禁する」「何者かを手で追い払う」「何者かを大声で威嚇する」などがあったが、あまり効果はなかった。
本日も何者かによる攻撃が予想されたが、何者かの睡眠時間と夕食が重なったおかげで、攻撃はなかった。
久しぶりの平和な夕食であった。

2016年12月9日金曜日

十二月九日 玉葱玉ねぎたまねぎ

玉葱と玉ねぎとたまねぎについて考えていたら、涙が出てきた。考えていただけで、タマネギは切っていない。
涙は赤茶色なのに、涙を拭いたハンカチは黄色く染まった。私は白いハンカチしか持たないのだから、これは困ると思って慌てて洗濯したけれど、点々と黄色が残ったままだった。
よく見ればその点々とした黄色は猫の足跡の形で、それを辿っていったら玉葱の魔宮に取り込まれることがわかっていたので、玄関に飾った。クリスマスの飾りにちょうどいいと思う。

2016年12月7日水曜日

十二月七日 インターホンは痛がっている

インターホンが新しくなった。カメラ付きになり、防犯上も安心である。
ところが、このインターホン、インターホンの癖にボタンを押されると涙を流すのだ。おかげで訪問者の主に右人差し指が濡れてしまう。
チャイムはどうしても「いたーい。いたーい。」と聞こえるし、それはもう悲痛な叫びなのだが、よいこともあった。近所の悪ガキたちによる「ピンポンダッシュ」が一切なくなったのである。

2016年11月24日木曜日

十一月二十四日 パトロール

大雪である。季節外れの雪の中、近所のパトロールに出かけた。雪の日にパトロールに出かけるのは私の恒例である。たとえ季節外れでも欠かすことはしない。
雪はどんどん降る。途中で、シロクロの野良猫と一緒になった。彼(たぶん雄猫)も同じく雪の日のパトロールだそうだ。我々はしばらく共に歩き、雪の降り方と人の足跡と猫の足跡を確認し合った。
私は彼の黒い模様を褒めた。「君の身体は雪の日にとても美しく映える」。彼は私の青い傘を褒めた。側溝に入ると言う彼と別れて、私は家に戻った。青い傘についた雪は、なかなか解けなかった。

2016年11月15日火曜日

十一月十五日 排水トラップの罠

ぴちょん  ぴちょん  ぴ ちょん  ぴちょん
洗面所の排水管が壊れたらしい。水滴が落ちる音がする。
じっと目を凝らしても、水を流しても、水は落ちない。ちょっと離れるとまた「ぴちょん」。
私は排水管と「だるまさんがころんだ」をやる趣味はない。

駆け付けたおじさんは、素晴らしく鮮やかに修理をしてくれた。それはもう、目にもとまらぬ速さで。
「排水管も知恵をつけてきてね……手早くやらないと、騙されるんで……最近、このテの排水管故障が多いんですよ、この後もう一軒、同じような工事が入っているので、じゃ、失礼します!」
そう言うとおじさんは去っていった。

工事代金は9720円。


2016年10月27日木曜日

十月二十七日 旅支度

明日は雨だから傘が要る。寒そうだから上着も。
もっと肝心なものは、壊れかけたノートパソコン、大瓶の外国産ビール、瓶詰ピクルス。
割れ物だらけだから、慎重に梱包してリュックに詰める。かなり重い。
「よし。」
腰に手をやって、荷物を眺める。
「なにが『よし。』だ。明日は一体どこに出かけるんだ?」と、独りごちた。
スケジュール帳を見ても空欄で、まったくもってわからない。

2016年10月26日水曜日

十月二十六日 受粉

飾っていた花から花粉が落ちて、テーブルを黄色くしていく。
布巾で拭いてしまえば済む話だけれど、ちょっと変な気を起こした。花が花粉を降らすのを観察しよう。
そうしたら、花はふるふると震えて始めた。見る見るうちに降り積もる花粉。
「あんまり頑張ると枯れてしまうよ」と声を掛けたけれども、花は止めない。
テーブルが黄色くなり、床が黄色くなり、ついに私も黄色くなって、花はようやく満足したようだった。

2016年10月18日火曜日

天空サーカス

祖父はサーカスのブランコ乗りだった。と言っても、それは祖父が若いころの話だから、私はサーカスをしている祖父を見たことはない。

祖父は、ブランコ乗りの片鱗を私に一度も見せることなく、89歳で亡くなった。私にとって祖父は「カメラが大好きなおじいちゃん」であり、サーカスの花形だった青年ではない。私は祖父の運動神経もバランス感覚も受け継がなかったけれど、写真好きは受け継いだ。

祖父の残した古いカメラは、どれもこれも手入れが行き届いていた。撮った写真もきちんとアルバムに整理されていた。その中に、「空」と題したアルバムを見つけた。

そういえば、祖父はときどき青空にカメラを向けていた。あれは写真を撮る前のちょっとした儀式のような趣があった。一瞬、空に向かった後は、いつもの笑顔で私たち孫を撮っていたから、幼い私は気に留めていなかったし、シャッターを切っているとは思っていなかった。

「空」のアルバムには、青空と、サーカスが写っていた。昼間の月のような、白いサーカス。天空で揺れるブランコに、すらりとした青年がぶら下がっている。淡く、白い、ブランコ乗り。

祖父のカメラを持って、庭に飛び出した。夏の青空にカメラを向ける。

2016年10月14日金曜日

Q戦円

九千円、と脳内で呟こうとするが、どうしても旧線円とかQ戦円とかになってしまう。
千円、二千円、三千円、と数えていっても、キューセンエンで、止まってしまう。キューセンエンだけそれまでとは異なる語感になり、異分子なのではないかと訝しく思い、ついにこの世に九千円などというのは存在しないのだという結論に至る。だいたい、財布に千円札が九枚入っていたことなんてあるだろうか。いや、きっとない。だからキューセンエンはQ戦円が正しい。

2016年9月14日水曜日

天国の耳

 天使たちは、天に召された者たちの耳を収集する癖がある。
 天に召されると身体の部位がいったん解けて散るのは、よく知られていることだが、耳が外れるとすかさず天使たちがそれを捕獲するというのは、死んでみて初めて知る者が多いようだ。
 ごくまれに風変りな天使もいて、鼻や親指の爪を集めるのがいるが、ほとんどの天使は耳に群がる。耳を集めることは天使の本能なのかもしれない。
 耳は、大切に保管される。美しく装飾された箱に収められ、専用の保管庫に並べられる。三日と経たずに箱から出され、磨かれ、また仕舞われる。 ときどき、耳を巡って天使同士の喧嘩や盗みや強奪も起こる。
 天国とは、そういうところだ。

2016年8月15日月曜日

東京ヒズミランド

【東京目黒区西が丘1丁目にヒズミが発生しました。お近くの方はヒズミの除去にご協力ください】
 ぼくは「ヒズミ除去装置」をポケットに入れて外に出る。 ドアを開けた途端に、景色にノイズが掛かり、耳鳴りに襲われた。ヒズミ発生場所は、我が家のすぐ目の前だったのだ。近くだとは思ったが、油断した。
 あっという間にヒズミに飲み込まれる。「おい、大丈夫か!」とヒズミ除去のために集まった人々が一斉に装置を起動するのがわかったが、間に合わなかった。
 ぼくは東京ヒズミランドに取り込まれる。噂が正しければ、ヒズミランドが逆歪むまで、毎夜パレードで道化なければならない。

2016年7月23日土曜日

ひょんの木

 祖父はその木を「ひょんの木」と呼んでいた。ひょんなこと、としか言いようのない出来事だった。6歳のある日、祖父の家の庭で遊んでいた私は躓いて、地面に手をついた。そこには、くっきりと私の手形がついた。
 そして、その手型の通りの幹を持った木が、そこに生えた。私が大きくなるのと同じく、幹も太くなった。
 気味が悪くて、祖父に頼んで何度も伐採した。根本近くで切っても、すぐに枝葉を伸ばした。
 伐採した切り口は、私の手とぴったり合わさる。それは、もっと気味が悪いことであった。そのうち伐採を頼むことはしなくなった。
 私は、祖父の家を譲り受け、ひょんの木と共に過ごすことになった。祖父の年をとうに越え、足元にも自信がなくなってきた。
 そして、ひょんの木の傍らで、また躓いた。ひょんなことである。6歳のときと違ったのは、手を付いたのは地面ではなく木であったことだ。
 ひょんの木は私の体重を支えきれず、乾いた音を立てて、折れた。私はひょんの木と共倒れになり、声も出せず、青い空を見上げている。

2016年7月22日金曜日

七月二十二日 クロワッサン売り切れ

どうしてもクロワッサンが食べたくて、パン屋を5軒巡ったが、どこもかしこも売り切れなのだ、クロワッサンだけが。
あんぱんも、チョココロネも、クリームパンも、メロンパンもあるのに、クロワッサンだけ売り切れ。
「どうしてでしょうねえ」
「今日はモンスター日和だからかもしれません」
「モンスターはクロワッサンを食うのですか」
「いや、私もよくは知らないんですけれど」
と、店の人やほかの客と言葉を交わしたが、まったくもってよくわからない。
6軒目のパン屋で、潰れたクロワッサンをようやくゲットできた。美味かった。

2016年7月2日土曜日

七月二日 エスカレーター男

エスカレーターを動かすおじさんは、普段は見えないところで働いているはずなのだが、蒸し暑い週末の夕暮れ、エスカレーターもエスカレーターを動かすおじさんも油断していたらしい。
大型スーパーのニ階で、おじさんは黙々と上りエスカレーターの下段で手すりを回している。人々が怪訝な顔でおじさんの横を通り過ぎる。
「見えてますよ」と小さく呟いたが、おじさんの耳には届かなかったようだ。

2016年6月23日木曜日

六月二十三日 おいしい悲劇

アンチョビが顔面に飛んできた。ベトベトになった顔を23回洗ったが、匂いはまだ取れない。

2016年6月13日月曜日

六月十三日 梅雨とキノコ

正しい梅雨の日の商店街。ひときわ大きな傘を持ち歩く人がいた。が、少し奇妙だ。大きな傘を持つのは大柄な人が多かろうと思うのに、その大きな傘は私よりずいぶん低い位置を動いているのだ。歩みもゆっくりである。
私はその大きな傘にだんだんと近づき、追いつき、追い越した。追い越し際にチラリと大きな傘の主に目をやると、小さな婆さんであった。
そして、婆さんが歩くたび、傘の内側から、ブワッと赤い粉が僅かに吹き出すのだった。
その胞子を吸い込んでいいのか、悪いのか、一瞬逡巡し、大きく息を吸ってみた。 なんの匂いもしなかった。

2016年5月14日土曜日

五月十四日 花の杖

大きな鉢植えの入ったビニール袋を杖にして歩くお婆さん。鉢植えには、色とりどりの花が咲き乱れている。コツンコツンと、鉢植えを支えにゆっくり歩いている。
お婆さんの頭上でポッと花が咲き、ふんわりと落ちていく。一歩一花。お婆さんの杖(の鉢植え)も、ますます花盛りだ。
落ちた花を辿れば、お婆さんがどこから来たのかわかるだろうと思ったが、駅前の花屋に着いただけだった。

2016年5月10日火曜日

五月十日 駅前の道端で入れ歯を拾った話

老人Y氏に聞いた話。ある日、Y氏は駅前の道端に入れ歯が落ちているのを見つけた。
Y氏は自身も歯で苦労しているから、「落とした人はさぞ困っているだろう」と、ちり紙に包んで拾って、交番に届けることにした。すると、入れ歯が突然「警察はやめてくれ!!」と喚きだしたそうだ。
Y氏は、入れ歯に負けない大声で説教をしながら交番へ向かった。お巡りさんは、迷惑そうに入れ歯の遺失物届けの手続きをしていたそうだが、その頃には入れ歯はすっかり大人しくなって、自白でもしそうな様子だったという。

2016年5月6日金曜日

五月六日 空き缶を拾う

コロコロと転がってきた空き缶を拾ったら、厳密には空き缶ではなかった。中に雷神様が入っていたからだ。「出してくれ~」と声がするので、どうにか振って、引っ張って、雷神様を出す。手乗り雷神。

缶が古びたので、新しい缶に住み替えたいと雷神様は言う。「お好みの缶はありますか?」というと「麦酒」という。私がビールを買いに行っている間、雷神様はひと暴れし、夏が近づいた。

2016年4月21日木曜日

綿毛の行方

風のない春の日は、案外少ない。そんな日に限って、たんぽぽの綿毛で視界が遮られる。吸い込まないように気をつけながら、綿毛たちに焦点を合わせる。どこへ行こうか、逡巡している綿毛の面々。風がない日に飛び出そうという、強い意志の持ち主たちなのだ。ため息をつきそうになって、ぐっと堪える。私の息で彼らを飛ばしてしまわぬように。

2016年4月12日火曜日

四月十二日 笛吹き男とHello, Goodbye

公園で横笛を吹くおじさんは、身なりは立派なのに傍らに汚れたツギハギだらけの巾着袋をたくさん置いている。
若い娘が、ビートルズを歌いながら、おじさんと巾着袋の前を通り過ぎていった。おじさんの横笛が奏でるメロディーはビートルズではないし、娘の歩く速度は、ちっともSay,goodbyeではない。

2016年4月6日水曜日

四月六日 よもぎ

線路脇によもぎを見つけた。そうだ、これでよもぎ餅を作ろう。
採っても採ってもまだまだよもぎは生えている。よもぎ餅はうさぎの好物だから、たくさん作るのはいいとして、それでも限りはある。もうそろそろ、いいだろう。
と思って、摘んだよもぎを入れたはずの袋を見たら、空っぽだった。摘んだはずのよもぎの匂いに囲まれた。しばし呆然。

2016年4月1日金曜日

四月一日 歯医者へ

歯医者に行ったら、歯の神経を抜くことになった。
「なんとか神経を抜かずに済みませんかね?」と懇願したが、無理なようだった。
「もう神経は死んでいますから、取ってしまわないと大変ですよ」
「本当にもうダメになってるんでしょうか、この歯の神経は」
「ええ、これはもうダメです」
そういって、医者は私の歯茎に麻酔を打ち、施術を始めた。
「こりゃどういうことだ」と医者が呟く。
「ろうひゃひまひたひゃ(どうかしましたか)」
「死んだはずの神経が踊っている、こんなのはみたことがない」
疲れた顔の医者に、「その神経は、死んだふりをしていたんでしょうか、それともゾンビだったんでしょうか」とは聞けなかった。

2016年3月17日木曜日

三月十七日 脚立

脚立がキャタキャタ歩いてやってきた。おおいに助かったけれど、ちょっと小さな脚立だったので、天井に手を伸ばすには少々難儀した。
脚立曰く、大きな脚立は自分では歩けないらしい。覚えておこう。

2016年3月10日木曜日

三月十日 少年と猫

スケートボードに乗った少年が、猫に挨拶する。
「おはよう!」
もうすぐ午後三時である。続けて少年は猫に言う。
「いい天気だね!」
空を見上げれば、低い雲。今日は三月とは思えない寒さだし、明日は雪の予報だ。
私だけ、違う世界に居るのやもしれぬ。

2016年3月8日火曜日

三月八日 ダンボール

大きいダンボールに中くらいのダンボールを入れて、中くらいのダンボールに小さいダンボールを入れて、小さいダンボールにもっと小さいダンボールを入れて、そして豆本をそっと入れようとしたら、大きいダンボールが大きすぎて、一番小さいダンボールに手が届かない。 ぐっと手を伸ばしたら、大きなダンボールに転げ落ちて、ここがどこだかわからない。

2016年2月25日木曜日

二月二十五日 ヤギさん

 郵便配達員が、携帯電話で話をしている。気難しそうにウロウロとスクーターの周りを歩きながら、「はい、はい。ヤギさんが。はい、こちらでも把握しておりますが、はい」
八木さんがどうしたのだろうか。そういえば、最寄りの郵便局の窓口に八木さんという人がいる。先日、八木さんからヤギの図柄の切手を買った。
 家に着く。最近、玄関に立つと、小さな聞き慣れない音が聞こえる。どこから聞こえるのかわからない。少し気になるが、家に入るとすぐに忘れてしまう。
 一息入れて、ラジオを付けると「小さなヤギによる郵便物の盗難が多発している」というニュースが流れた。
 慌てて玄関に出る。ポストに近づくと、あの小さな音がはっきり聞こえてきた。紛れもなく咀嚼音。

2016年2月10日水曜日

二月十日 読書する犬

公園のベンチに、老人と犬。老人の広げる本を、脇から犬が熱心に覗き込んでいる。
タイトルが見えた。『正しいおじいさんの飼い方』

2016年1月16日土曜日

動物たちの晩餐

イエローの湯気が立ち上る。いい匂い。これから何か始まる予感がする。
ぽつり、ぽつり、と動物たちがやってきた。
最初はおとなしくしていた動物たちが、 突然、気配を濃厚にする。ライオンだ!
けれど、誰も逃げない。いい匂いがするからだろうか。
最後にスープが現れた。湯気の正体は、スープだった。温かいスープ、みんなで食べよう。

2016年1月15日 イベント「スープのたね」きくちちき、有賀薫


2016年1月3日日曜日

くじらの東宮

くじらの東宮は、春を目指す。冬が生まれたその瞬間に、春を求めて旅を始める。白い息を吐きながら、心はもう春の気配が芽吹いている。一直線に春を目指す。長い旅になるが、航路に間違いはない。

だが、今年は少しだけ後ろ髪を引かれながらの出立だった。冬を見送る秋の視線が、なぜか忘れられない。

 イラストレーション:へいじ