2009年8月31日月曜日

青い玉、赤い玉

甘い匂いに誘われて通りを歩いていると、蛇が絡まる絵が施された黒い面を被った男が、露店を開いていた。
「いらっしゃい」
高い鼻の面からくぐもった低い声がする。
「箱から出てきたのが青い玉なら夢をあげましょう。赤い玉なら、闇をあげましょう」
面の中から覗く男の目が金色に光る。
差し出された箱は、男の面と同じ黒地に蛇の這う絵。丸く開いた穴に手を入れると、生暖かい。
底に触れて探っても、玉など一つもなかった。男に問い質そうと口を開き掛け。た途端、手のひらに飛び込む球体。
恐る恐る引き上げると、私の右手は鮮やかな赤い玉を握っていた。
「おめでとう。闇を差し上げます」
煙草の煙でも吐き出すように、男の口から黒い靄が出てきた。少しも逃すまいと、口を開けて吸い込む。どうしてこんな不気味なものを吸い込もうとするのだ、と頭の片隅で考えるが、やめられない。

闇を受け取ってからというもの、休日になると面を付け、箱を抱えて通りに出る。もちろん、尖った鼻の黒い面には蛇の絵。
「いらっしゃい。赤い玉なら

(431字)

2009年8月29日土曜日

DEAR MY SOLDIER

盾になることが君を守る唯一の方法だと思い込んでいた。
ズタズタに斬られて、それで君が無事なら、僕の行いは完全に正しいと信じていた。

僕が君を守ろうとすればするほど、君は涙を流す。青い涙をガラスのペンに浸して、僕へのラブレターを綴る。
君はラブレターを紙飛行機にして、戦場にいる僕に寄越すけれど、その手紙を僕は読むことができない。そこにはただ涙の跡があるだけ。

ついに僕はラブレターを読む。君の血液で綴られた文字を読む。
「あなたが傷つけば私も傷つくと、いつになったらわかってくれるの? ――あなたは「私の愛する人」を何よりも大事にしてください」

あぁ、僕は若過ぎた。君の涙の意味をちっともわかっちゃいなかった。おまけに僕は、傷ついた僕に陶酔していたんだ。
あれから、どれだけ年月が経っただろう。僕も君もずいぶん年を取った。あの手紙を書くために君が傷つけた右の太股の内側には、まだ跡が残ったまま。

(389字)

2009年8月27日木曜日

夢 第七夜

かつて城下町だったこの町だが、大通り商店街に人の気配はない。
錆びたシャッターが延々と続く。点滅したままの青信号、剥げた横断歩道。
祭りを知らせる赤い提灯型の電球だけが規則正しく明る過ぎる。
私は真夜中の大通り商店街の車道の真ん中を一人で歩いている。どこに向かっているのかわからない。歩いても歩いても、死んだ商店街は終わらない。
突如、鳴り響く「ニュース速報」の音、と同時に激しい揺れ。
絶叫。
叫んでいるのは私だと、夢の中の私は気が付かない。耳を塞いだまま、あらんかぎりの声で、叫んでいる。

(240字)

2009年8月26日水曜日

八月二十五日 ウサギ乞いし池袋

ウサギ追う列車の中に晩夏の風
赤信号、憂国の男、スピーカー
人込みを避けて通るはホテル街
ウサギなく牛の姿に後ろ髪
万華鏡、小宇宙にウサギを見る
サーモン・チーズ、エビ・アボカド、優柔不断
民社党? 思いがけなく時間旅行
兎にも角にもウサギ捕獲失敗

(116字)

2009年8月21日金曜日

夢 第六夜

新しい縮毛矯正が開発されて、友人は早速試した。さらさらな髪にご満悦だ。
私は彼女に一本の白髪を見つける。抜いて欲しいというのでそれを辿ると、根元に向かって太くなっていく。頭皮に至ると親指くらいの太さがあったが、ちょっと引っ張るとあっけなく抜けた。大きな毛穴を覗き込む。なにやら蠢くものが見える。右手に握った白髪がぶるんと震えた。

(163字)

2009年8月20日木曜日

夢 第五夜

ハイテクノロジーな文房具セットを手に入れる。
ロックを外せば小さな机があらわれ、各種テープ類が整然と並び、鋏は3種類、カッターや刃物は4種類、糊や接着材は数えられないほど。どれもきっちり定位置に収まっている。糊もテープはいくら使っても尽きることがない。
真っ白でつるりとした機能的なミニデスクは、何がどこにあるのか探すのが大変だ。そしてあまりにも機能的過ぎることにデスクが自己陶酔しているらしい。消しゴムのカス一つで、警告音が鳴り響く。

(216字)

2009年8月18日火曜日

夢 第四夜

口角炎が治らない。一言喋ろうとする度に口の端が切れて血が滲み出る。
ハンカチ大のガーゼを折り畳み唇に押し当てる。何度も血液を吸ったガーゼを、洗い、また使う。
斑な赤茶色の染みを作ったガーゼを使い続ける。
そのうち口を開かなくとも、ふいに血がじわりと溢れ出るようになる。洗い過ぎて硬くなりつつあるガーゼが傷に障る。このガーゼを、どこまで汚すことができるかしらと頭のどこかで考えている。

(188字)

2009年8月17日月曜日

夢 第三夜

部屋の床一杯に散乱した貝殻とビー玉を分類している。
家中の籠や笊を使って、巻貝、二枚貝、タカラ貝、青いビー玉、赤いビー玉、緑のビー玉……と選り分ける。
貝殻もビー玉も、割れているものが相当ある。割れているのは選り分けない。なかなか床の貝殻とビー玉は減らない。けれども飽きることも焦ることもなく、私はひとつづつ拾っては検分し、籠に入れていく。ただ、籠や笊が足らないので少し困っている。もうこれ以上入れ物になりそうなものは家にない。
部屋の片隅で、年若い男が私の様子を眺めている。膝を抱えて蹲り、無表情でこちらを見ている。

(256字)

2009年8月14日金曜日

夢 第二夜

生前葬に呼ばれる。
食事を始めて暫くすると、ストレッチャーに乗った旧い友人が現れた。治療法の確立されていない難病に冒され、余命いくばくもなくなり、生前葬を決めたらしい。
十数年振りに見る彼はげっそりとやつれ、髪は真っ白になっていた。あちこちにチューブや包帯を付け、痛むのか頻りに左の太股を擦っていた。
はち切れんばかりの笑顔の彼は、そこにはなかった。私は彼にずいぶんと世話になった。逞しい彼は、少々お節介だったけれども、確かに私の騎士だった。
感謝を伝えたかった。病との闘いを労いたかった。しかし虚ろな目の彼に掛ける言葉が見つからない。いくら咀嚼しても唾液が出ないまま、出された食事をもそもそと臙下し続ける。

(300字)

2009年8月12日水曜日

夢 第一夜

腹痛に泣いている男の腹をさすっている。
男は痩せているのに、その腹はやわらかな脂肪がついている。
男の腹痛が落ち着いても私は彼の腹を撫で続け、心地よくてそのままウトウトと眠ってしまう。

目覚めてから、この男は現実に具合が悪かったのではないかという気がして仕方がないのだが、確かめようがない。男が誰だかわからないのだから。

(157字)

2009年8月11日火曜日

銀河ステーション

別れを惜しむ恋人たちを尻目に、私は仁王立ちで汽車を待っている。
ステーションには次々と汽車がやってくるが、私の乗るべき汽車はずいぶん遅れているらしい。数十億光年の長距離汽車だから仕方がないのかもしれない。
しかし私は待ちくたびれた。足がホームに張りついたように動かない。
馴染みの駅員が私の前に立ち、一口だけ駅弁を食わせてくれる。
残りを頬張りながら、駅員は改札に戻って切符切りを始める。鋏の音につられて、私の心の臓は大儀そうに鼓動を続ける。
私は一体なんという星を目指して汽車に乗ろうとしているのだろうか、ふと不安になる。さっきまで確固たる確信の下に汽車を待っていたはずなのに、よくわからなくなっている。今の私に切符を確かめる術はない。
煌めく星星の眺めと裏腹に、ホームの一寸先は宇宙の闇。汽車など待たず、足が動くうちにホームの向こうへ歩きだせばよかったのかもしれない。ほんの三歩歩ければ。
また汽車が来る。
駅員が慌て走ってきて私をひょいと持ち上げ、車掌に渡す。死んでないだろね、トランクのほうが重たくなってら、と車掌が笑う。

(457字)

2009年8月10日月曜日

電卓について

もしも存分に道楽できる身分であったら、私は電卓を収集したい。
電卓がきちんと並んだ陳列棚のある書斎で書き物をするのを夢想する。時折、大きさや色で並べ替えるのは、実に愉しいひとときだろう。
電卓の何が私をそんなにも興奮させるのか。規則正しく並んだ数字釦、小さな画面に現れるデジタル数字。ならば携帯電話も似たようなものじゃないかと思うが、やはり違うのだ。ただ計算をするためだけに特化された形と機能は、普及してから大きな外見的変化なしに、しかし世の中の流行を反映させながら、新しい電卓は生まれ続けている。
一体、ごく平凡な生活を営む善良な市民が人生で何度、電卓を買うだろうか。電卓は簡単に壊れる家電製品とは違うから、そう幾度も買い直すものではない。それにも関わらず文房具売場には数種類の電卓を置いてある店も少なくない。携帯電話や電子辞書、あちこちに計算機の機能は付加されているというのに、電卓は電卓それ以上でもそれ以下でもなく、今尚存在している。健気ではないか。
武骨な事務用のもよい。かわいらしくカラフルなのもよい。一応の好みはある。縦型の長方形で、上部に液晶窓があるものが一番好ましい。

店で電卓を見るたび、このようなことを考えながら、私は指をくわえるのだ。

(523字)



2009年8月9日日曜日

八月九日 薔薇日和り

インカの薔薇の指輪を付けて、薔薇の香り風呂に入った。
仕方がない。このくらい強い色と香りでなければ、抑えることができない。

(60字)

2009年8月7日金曜日

東京に空がない

指を揃えた両のてのひらを頭上にかざす。人差し指と親指が作る三角窓から仰ぎ覗く東京の灰色の空は、ビルと電線で細かな欠片にしか見えない。
あの日初めて東京に来た時も、同じことをした。その頃はまだ辛うじて、てのひらの三角窓に、空だけを入れることもできた。
けれど今じゃ不可能だ。どこへ行っても空は細かい境界線が引かれ、難易度の高いジグソーパズルみたいになってしまった。
未来になれば、科学技術も開発計画も進んですっきりとした街並みになるんだと思っていた。
だが実際は、逆だった。東京は網の目どころか蚊帳の目のように電線が張り巡らされ、建物はひたすら天を目指して建設ラッシュが止まらない。
青空も、雲の流れも、夕焼けも、星空も、今や郷愁の中に生きているのみ。
突然、猛烈に空が恋しくなって、建設中のビルに駆け込む。都内一となる予定のビルだ。793階建ての667階まで完成、328階までは既に入居が済んでいる。
超高速エレベーターに乗って328階まで上がり「工事関係者以外立ち入り禁止」のゲートを破り、667階へ。ここから先はロボットの仕事場だ。警備を騙して、ようやく赤い鋼鉄の腕を見つける。あれに連れて行ってもらうのだ、東京で一番高い所へ。空を独り占めするために。
しがみ付いたクレーンはゆっくりと上昇を始める。
さぁ! 空だ、空だ、青空よ! ここまで来れば何も邪魔することはない!
しかし視界はいつまでも、のっぺりとしたグリーン一色。

(602字)

2009年8月6日木曜日

振動

携帯電話を金魚鉢に沈めた。
金魚は新しい侵入物を気にするふうもなく、変わらずに泳いでいる。
ふいに水中の携帯電話が振動する。金魚鉢の水は大袈裟なくらい波打ち、金魚は鉢から飛び出した。
フローリングの上で苦しむ三匹の金魚を尻目に、私は震える携帯を水中から掬いだす。
液晶画面に、あの人の名はない。真っ暗な画面のまま震え続ける携帯電話を胸に押し当てる。息絶えた金魚たちはもう異臭を放ちはじめた。

(191字)

2009年8月4日火曜日

酔狂

酔わせるつもりが、酔ったのは俺のほうだった。
どうしたんだ、みっともない。こんなつもりじゃなかったのに。わずかに残った冷静な脳ミソが呟いているけれど、身体は言うことを聞いちゃくれない。
きっとアレだ。彼女が珍しいでしょ、と言って見せてくれた小瓶のせいだ。
透明な液体が入った龍の姿をした瓶は、小さいながらも今にも躍動しそうな迫力があって目が離せなくなった。
欲しい? と問われて答えた声は上ずっていたかもしれない。
「龍に勝つことが出来たら」
彼女は龍の尾を捻り、引き抜いた。瞬間、目が眩むほどの強烈な匂い。
やっぱりそうだ、俺が酔ったのは酒なんかじゃなく、あの龍のせいだ。
「中身はただの香水だよ? こんな腰抜けじゃ、まだ、あげられないね」と悪戯っぽく笑う彼女に凭れながら、今に見てろと回らない舌で言ったけれど、彼女に言ったのか龍に言ったのか、我ながらわからない。

(373字)

2009年8月3日月曜日

八月三日 眠たくない

窓から鈴を投げているとカラスが「ぽっぽっぽ」と鳴きながら鈴を持って飛んで行ってしまった。
こんな寝不足の日に昼寝をしなかった罰だと思う。

(67字)

2009年8月1日土曜日

海中ホテル

思い出話をしよう。僕は15歳の中学生で、修学旅行の時の話だ。
海沿いの暖かい町だった。特急とバスと船を乗り継いでホテルに着いた。
ホテルは海の中にぽつんと立っていた。特になんの変哲もない、どこかの町のビジネスホテルのような作りだった。
先生は言った。「ホテルに着いたから、荷物を持って船を降りなさい」
ホテルの入り口は一階で、それはもちろん海の中だった。
泳ぎに覚えのある奴は平気な顔で飛び込んで行ったけれど、生憎僕は泳げない。完全なカナヅチだった。
とうとう船にはマナミと僕だけになった。マナミもやっぱり泳げなかったのだ。
マナミは「一緒に行こう」と僕の腕を掴んだ。思いの他しっかりしがみついてきたので、僕にもう一つ緊張が加わった。けれど僕はマナミに感謝もしていたのだ。僕のほうこそ誰かにしがみつきたい気分だったのだから。
マナミの身体の重みは僕に勇気をくれた。

ホテルにどういう魔法が掛かっていたのだろう、海の中では呼吸が苦しいこともなく、身体は思い通りに動かすことが出来た。導かれるように、ホテルの入り口まで沈んでいった。
僕はマナミと手を繋いだままホテルに入ると、髭を生やしたフロントマンが笑顔で迎えてくれた。髭が潮の流れに合わせてゆらゆらと動いているのが可笑しくて、僕とマナミは大笑いしたけれど、フロントマンはちっとも怒らなかった。
「三年二組、皆様お揃いですね。海中のお部屋になさいますか? それとも海上のお部屋に?」
もちろん、僕もマナミも海中の部屋にしたよ。

(624字)