ここ最近、ウサギからチョキチョキと毛を切り取って貰っていたから、とうとうハゲが全身に拡がってしまった。流石に申し訳なくて謝ったら「気にするな」と言う。
「羊みたいにまた伸びるかね?」と尋ねたら、「羊に訊いてみる」と出て行った。
ところが、三十分もしないうちに帰ってきた。
「やっぱり、夏が終わってから、訊きに行く」
私もそれでいいと思う。
2010年6月14日月曜日
2010年6月13日日曜日
清潔な私
自分と母親以外の全ての生き物は、清潔だと思っていた。
男の子とかたんぽぽとかキリンになれたら、どんなに清潔だろう。
願いは突然叶うものだ。或る朝、目覚めると私は植物園の向日葵になっていた。ナントカっていう貴重な種類の向日葵であるところの私は、栄養と必要な細菌やプランクトンを計算し、配合された土に植えられ、清浄な水を決まった時間に決まった量を与えられ、分刻みで管理された温度の中、枯れずに生きていく。
太陽の方向もわからず、毎日時計だけを眺めている。
不潔な存在だったあの頃よりは、幸せ。自分が汚いと思わないのは、幸せ。何も楽しくはないけれど。
まだ午後四時二十八分だ。
男の子とかたんぽぽとかキリンになれたら、どんなに清潔だろう。
願いは突然叶うものだ。或る朝、目覚めると私は植物園の向日葵になっていた。ナントカっていう貴重な種類の向日葵であるところの私は、栄養と必要な細菌やプランクトンを計算し、配合された土に植えられ、清浄な水を決まった時間に決まった量を与えられ、分刻みで管理された温度の中、枯れずに生きていく。
太陽の方向もわからず、毎日時計だけを眺めている。
不潔な存在だったあの頃よりは、幸せ。自分が汚いと思わないのは、幸せ。何も楽しくはないけれど。
まだ午後四時二十八分だ。
名取川
名取川の辺に棲む翁は、昔話や民話や、その他たくさんの不思議な話の語り部として有名である。
翁が有名なのは、その膨大な話の記憶量だけではない。なかなか人に語らぬことでも有名なのだ。大学の研究者、怪談やオカルト好きの者、テレビや雑誌の取材などで翁の元を訪れる者は多い。だが、実際に話を聞いて帰ってくる人間は、ごく僅かだった。
翁は堅物でも偏屈でもない、気さくな老人である。相手が気に食わないからと門前払いをするわけではない。それは私自身、翁に逢ったのだから、断言できる。
雑誌の取材を翁に申し入れた私は、翁の指定した日時に訪ねて行った。
茶と菓子を持って現れた翁は、真っ先に私の名を訊いた。もちろん、取材を申し込んだ際にこちらの氏名や取材目的などは話をしてある。翁の表情には、なぜか悪戯小僧のような気色があった。
「改めまして、東京のX出版から参りま……」
私は絶句した。自分の名前がわからないのである。嫌な汗が全身から噴き出した。ポケットを探り、名刺入れを取り出す。
名刺は、名前の部分だけ墨を流したように滲んでいた。翁は私の名刺を覗き込んで、けけけけ、と笑った。
真顔に戻った翁に、狂言の「名取川」を知っているか? と訊かれても、すっかり動転した私には、何のことやらわからない。川に名前を取られたのだと、翁は説明した。
もう一度、川を渡れば、東京に帰るころには、名前も思い出すだろう。その代わり、ここでの出来事はほとんど覚えていないはずだからと、励まされ送り出された。
そう、私はその日の出来事をよく覚えている。そして、未だに自分の氏名を思い出せないままだ。家族や友人に何度聞いても、覚えることが出来ない。
どっちかというと、「みちのく怪談」の没。
本文中にもあるように狂言の「名取川」を下敷きにしたようなような。
翁が有名なのは、その膨大な話の記憶量だけではない。なかなか人に語らぬことでも有名なのだ。大学の研究者、怪談やオカルト好きの者、テレビや雑誌の取材などで翁の元を訪れる者は多い。だが、実際に話を聞いて帰ってくる人間は、ごく僅かだった。
翁は堅物でも偏屈でもない、気さくな老人である。相手が気に食わないからと門前払いをするわけではない。それは私自身、翁に逢ったのだから、断言できる。
雑誌の取材を翁に申し入れた私は、翁の指定した日時に訪ねて行った。
茶と菓子を持って現れた翁は、真っ先に私の名を訊いた。もちろん、取材を申し込んだ際にこちらの氏名や取材目的などは話をしてある。翁の表情には、なぜか悪戯小僧のような気色があった。
「改めまして、東京のX出版から参りま……」
私は絶句した。自分の名前がわからないのである。嫌な汗が全身から噴き出した。ポケットを探り、名刺入れを取り出す。
名刺は、名前の部分だけ墨を流したように滲んでいた。翁は私の名刺を覗き込んで、けけけけ、と笑った。
真顔に戻った翁に、狂言の「名取川」を知っているか? と訊かれても、すっかり動転した私には、何のことやらわからない。川に名前を取られたのだと、翁は説明した。
もう一度、川を渡れば、東京に帰るころには、名前も思い出すだろう。その代わり、ここでの出来事はほとんど覚えていないはずだからと、励まされ送り出された。
そう、私はその日の出来事をよく覚えている。そして、未だに自分の氏名を思い出せないままだ。家族や友人に何度聞いても、覚えることが出来ない。
どっちかというと、「みちのく怪談」の没。
本文中にもあるように狂言の「名取川」を下敷きにしたようなような。
2010年6月10日木曜日
阿鼻叫喚
叫び声に驚いて様子を見に来た妻が、どさりと倒れた。私は叫びながら読書中で、妻を抱き起こすことができない。よしんば、本を手放しても、とてもこの手で妻に触れる気など起こらないだろう。
古書店で一目惚れした『てのひら幽霊』なる本は、筆者も版元も聞いたことのない名であったが、趣向を凝らした美しい造本で、これぞ古書探求の醍醐味と、迷うことなく購入した。帰りがけ、店主が「お気をつけて」と小声で呟いたのは、気のせいではなかったようだ。
目を通した端から、文字が滲み、血となり、頁を濡らす。今すぐにでも目を閉じて本を放り出したいのに、それができない。
題名の通り、古今東西の短い幽霊話が次々と語られていく。どれもこれも凄惨な話だ。一話読むごとに、血が染み込んだ本は重くなり、主人公たる幽霊が出現する。幽霊が押し合い圧し合いしながら、好き放題に大声で恨み事を言う。私の叫び声と、幽霊共の「怨めしや」が狭い部屋に充満する。
腥い空気が濃くなった。血の滴となった文字は、紙面から溢れ出し、私のてのひらから手首まですっかり血みどろにした。
血に塗れた私の手指は、それでもなお間違いなく頁を繰る。夢中になって幽霊話を読み漁る。叫び声を上げながら。
ついに最後の一話となった。この一話を読み終えれば、解放されるはずだ。
早く早く。読み終えたら、血に穢れたこの手を洗い、妻を介抱するのだ。
頁の上にゆらりと立ち上った最後の幽霊が、手招きする。息を吸う間もなく上げ続けていた叫び声が、退く。
bk1怪談大賞用習作二つ目。
昨日アップしたのは、6月3日に移動しました。
何月何日に書いたか含めて記録するのがこのブログの役割。
古書店で一目惚れした『てのひら幽霊』なる本は、筆者も版元も聞いたことのない名であったが、趣向を凝らした美しい造本で、これぞ古書探求の醍醐味と、迷うことなく購入した。帰りがけ、店主が「お気をつけて」と小声で呟いたのは、気のせいではなかったようだ。
目を通した端から、文字が滲み、血となり、頁を濡らす。今すぐにでも目を閉じて本を放り出したいのに、それができない。
題名の通り、古今東西の短い幽霊話が次々と語られていく。どれもこれも凄惨な話だ。一話読むごとに、血が染み込んだ本は重くなり、主人公たる幽霊が出現する。幽霊が押し合い圧し合いしながら、好き放題に大声で恨み事を言う。私の叫び声と、幽霊共の「怨めしや」が狭い部屋に充満する。
腥い空気が濃くなった。血の滴となった文字は、紙面から溢れ出し、私のてのひらから手首まですっかり血みどろにした。
血に塗れた私の手指は、それでもなお間違いなく頁を繰る。夢中になって幽霊話を読み漁る。叫び声を上げながら。
ついに最後の一話となった。この一話を読み終えれば、解放されるはずだ。
早く早く。読み終えたら、血に穢れたこの手を洗い、妻を介抱するのだ。
頁の上にゆらりと立ち上った最後の幽霊が、手招きする。息を吸う間もなく上げ続けていた叫び声が、退く。
bk1怪談大賞用習作二つ目。
昨日アップしたのは、6月3日に移動しました。
何月何日に書いたか含めて記録するのがこのブログの役割。
2010年6月8日火曜日
六月八日 ゾウのおならについての考察
ゾウは、「横になるときについついおならをしてしまう」と言っていた。
どうしてなのか、ゾウ自身よくわからないらしい。私も考えてみたが、ゾウではないのでわからない。
ならば真似をしてみようと思ったけれど、ベッドに潜りながら都合よく放屁するなんて器用なことはできなかった。
ところが、ついさっき思い出したのだ、ウサギが「どっこらしょ」と言う時、十回に七回は同時に「ブゥ!」と音がすることを。
これでゾウのおならも「どっこらしょ」であるという仮説ができた。
ちなみにゾウのおならは、「ブロロロロロ」だ。
どうしてなのか、ゾウ自身よくわからないらしい。私も考えてみたが、ゾウではないのでわからない。
ならば真似をしてみようと思ったけれど、ベッドに潜りながら都合よく放屁するなんて器用なことはできなかった。
ところが、ついさっき思い出したのだ、ウサギが「どっこらしょ」と言う時、十回に七回は同時に「ブゥ!」と音がすることを。
これでゾウのおならも「どっこらしょ」であるという仮説ができた。
ちなみにゾウのおならは、「ブロロロロロ」だ。
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