へたくそな英語と蝉が輪唱している。
どちらもよく聞き取れないのは、もう微睡始めているからか、それとも暑さのせいか、はたまた青い渦巻きのせいか。今は午前一時。
2010年7月25日日曜日
夏の虫取り
扉が閉まる寸前、電車に飛び乗った男の子は、だれともなく「ごめんなさい」と頭を下げると、虫取り網を振り回し始めた。
おやおや、虫取りが楽しみで仕方ないのだなと思って見ていたが、どうも様子が違う。
彼は車内で本当に、虫を集めているのだった。
彼の網や、小さな指に捕らえられている間は私には何も見えなかったが、虫籠に放たれた途端に姿を現した。毛虫だ。ドドメ色した目玉だらけの毛虫。
それを男の子は涼しい顔で次々と捕まえているらしい。
「ヨシ、きれいになったぞ」
と独り言を言って、男の子は次の車両へ移って行った。ともかくこの車両にあの毛虫はいなくなったらしい。有難いことだ。
おやおや、虫取りが楽しみで仕方ないのだなと思って見ていたが、どうも様子が違う。
彼は車内で本当に、虫を集めているのだった。
彼の網や、小さな指に捕らえられている間は私には何も見えなかったが、虫籠に放たれた途端に姿を現した。毛虫だ。ドドメ色した目玉だらけの毛虫。
それを男の子は涼しい顔で次々と捕まえているらしい。
「ヨシ、きれいになったぞ」
と独り言を言って、男の子は次の車両へ移って行った。ともかくこの車両にあの毛虫はいなくなったらしい。有難いことだ。
2010年7月22日木曜日
ゆうされば
まだ夏は始まったばかりだというのに、暑い。昨日からロクに外出もせず、ぬるいタオルケットをひたすら弄んでいた。
ふいに、豆腐屋のラッパが聞こえてきた。ずいぶん調子外れな「とーふぃ」だ。
ラッパがまずいからと言って豆腐の味も悪いとは限らぬ。夕飯に冷奴を付けようと、小銭入れとボウルを持って外へ出た。
「絹ごし一丁」
「あいよ」と応えたのは、まだ幼さの残る男だった。
「これは蝉時雨の氷水に放った豆腐だから、冷奴にぴったりだよ」
「蝉時雨の氷水? 喧しそうだな」
「ミンミン蝉やアブラ蝉じゃないから、大丈夫」
男は人懐っこい顔で笑った。
冷奴は蜩の声がした。そういえば、この夏はじめて聞く蜩だ。
ふいに、豆腐屋のラッパが聞こえてきた。ずいぶん調子外れな「とーふぃ」だ。
ラッパがまずいからと言って豆腐の味も悪いとは限らぬ。夕飯に冷奴を付けようと、小銭入れとボウルを持って外へ出た。
「絹ごし一丁」
「あいよ」と応えたのは、まだ幼さの残る男だった。
「これは蝉時雨の氷水に放った豆腐だから、冷奴にぴったりだよ」
「蝉時雨の氷水? 喧しそうだな」
「ミンミン蝉やアブラ蝉じゃないから、大丈夫」
男は人懐っこい顔で笑った。
冷奴は蜩の声がした。そういえば、この夏はじめて聞く蜩だ。
2010年7月21日水曜日
かくれんぼ
夕焼けが赤過ぎたのをよく憶えている。 かくれんぼの余韻が残っていた。きょろきょろとあたりを見廻し「あそこはかくれるのにちょうどよさそうだ」などと思いながら帰り道を急いでいた。
そうして歩いているときに、空き地に穴を見つけたのだ。そこはよく遊ぶ空き地の一つで、どこにどんな草が生えているかまで知っている。そんな勝手知ったる遊び場に、大きな穴があったことに、僕は少なからず驚き、悔しさに似た感情が湧いた。
穴はかくれるのに十分な大きさがある。そして、中に向けて小便でもしたくなるような穴だった。そう思ったら急に強い尿意が襲ってきた。
「中に入るなら、ションベンする前だ」
股間を押さえながら穴の中にしゃがみ込む。ひんやりとして寒い。「漏れる!」慌てて立ち上がろうとしたが、動けない。小さなじいさんが、シャツを引っぱっているのだ。
「だれ?」
「おまいらのおとっつあんやおっかさんがガキん頃は、隠し坊主、なんて呼んでたな。おまいのおっかさん、血相変えておまいを探してら」
見上げると、赤い空は消えていた。
「じゃあ、帰らなくちゃ。それに、ションベン漏れそうだ。離して」
「駄目駄目。この坊主とジャンケンで勝ったら、穴から出してやら」
二十三回までは数えたけれど、その後はわからない。ようやくパーで勝って、ホッとしたら、盛大に小便を漏らした。
ズボンを濡らして、空き地でぼんやり突っ立っているのを、隣のおじさんが見つけてくれたのは、夜の九時を過ぎていたそうだ。
「この空き地も、何遍も見に来たのだがねえ」と、大人たちが不思議そうに言っていたが、隠し坊主の事は言えなかった。
ビーケーワン怪談投稿作
そうして歩いているときに、空き地に穴を見つけたのだ。そこはよく遊ぶ空き地の一つで、どこにどんな草が生えているかまで知っている。そんな勝手知ったる遊び場に、大きな穴があったことに、僕は少なからず驚き、悔しさに似た感情が湧いた。
穴はかくれるのに十分な大きさがある。そして、中に向けて小便でもしたくなるような穴だった。そう思ったら急に強い尿意が襲ってきた。
「中に入るなら、ションベンする前だ」
股間を押さえながら穴の中にしゃがみ込む。ひんやりとして寒い。「漏れる!」慌てて立ち上がろうとしたが、動けない。小さなじいさんが、シャツを引っぱっているのだ。
「だれ?」
「おまいらのおとっつあんやおっかさんがガキん頃は、隠し坊主、なんて呼んでたな。おまいのおっかさん、血相変えておまいを探してら」
見上げると、赤い空は消えていた。
「じゃあ、帰らなくちゃ。それに、ションベン漏れそうだ。離して」
「駄目駄目。この坊主とジャンケンで勝ったら、穴から出してやら」
二十三回までは数えたけれど、その後はわからない。ようやくパーで勝って、ホッとしたら、盛大に小便を漏らした。
ズボンを濡らして、空き地でぼんやり突っ立っているのを、隣のおじさんが見つけてくれたのは、夜の九時を過ぎていたそうだ。
「この空き地も、何遍も見に来たのだがねえ」と、大人たちが不思議そうに言っていたが、隠し坊主の事は言えなかった。
ビーケーワン怪談投稿作
覇王樹に靠れて
枯れかけたサボテンをゴミ捨て場で拾ったのと時期を同じくして、恋人が出来た。
バス停で具合を悪くしていた彼女を介抱したのが出逢いだった。期せずして、彼女とサボテンの世話を焼く生活が始まったのである。幸いなことに、彼女とサボテンは、足並みを揃えるように快方に向かった。
彼女は、サボテンを心から愛でた。うちへ来ると、真っ先にサボテンに話しかけ、空模様を睨みながらベランダで日光浴をさせる。時々水をやる。自分がいない間の世話の仕方を細かく俺に指示する。
サボテンに手を掛け過ぎるのは、よくないんじゃないか? と言うと「この子が喜んでいるのが、あなたにはわからないの?」とトゲのある声で非難された。
サボテンが花を咲かせる頃、彼女は美しいと評判になった。しかし、友人から羨ましがられる毎に、俺の心は冷えていった。彼女の情の全てがサボテンに向いている。
サボテンが元気ならば自分も元気でいられる、と彼女は信じ切っていた。サボテンに必死に話しかける彼女の髪を、心なく撫でる俺。その構図はどう考えても滑稽だ。まるで彼女を介してサボテンを撫でているようで、髪の毛が手のひらに刺さるような気すらする。痛い。
サボテンが枯れたら、一心同体を自負する彼女はどうなるだろうか。
試してみよう。黴だらけの浴室で熱湯に浸した。ベランダで踏みつけ、放置した。腐り始めたところで、生ごみの日に捨てた。
サボテンが部屋から消えたことに気づくと、彼女はたちまち体調を崩した。
半狂乱の彼女の額に最後のキスをして、病院行きのバスに放り込んだ。
手を振り見送り、清々したと、顔が弛む。唇に、鋭い痛みが走った。サボテンの棘が刺さっている。
ビーケーワン怪談投稿作
バス停で具合を悪くしていた彼女を介抱したのが出逢いだった。期せずして、彼女とサボテンの世話を焼く生活が始まったのである。幸いなことに、彼女とサボテンは、足並みを揃えるように快方に向かった。
彼女は、サボテンを心から愛でた。うちへ来ると、真っ先にサボテンに話しかけ、空模様を睨みながらベランダで日光浴をさせる。時々水をやる。自分がいない間の世話の仕方を細かく俺に指示する。
サボテンに手を掛け過ぎるのは、よくないんじゃないか? と言うと「この子が喜んでいるのが、あなたにはわからないの?」とトゲのある声で非難された。
サボテンが花を咲かせる頃、彼女は美しいと評判になった。しかし、友人から羨ましがられる毎に、俺の心は冷えていった。彼女の情の全てがサボテンに向いている。
サボテンが元気ならば自分も元気でいられる、と彼女は信じ切っていた。サボテンに必死に話しかける彼女の髪を、心なく撫でる俺。その構図はどう考えても滑稽だ。まるで彼女を介してサボテンを撫でているようで、髪の毛が手のひらに刺さるような気すらする。痛い。
サボテンが枯れたら、一心同体を自負する彼女はどうなるだろうか。
試してみよう。黴だらけの浴室で熱湯に浸した。ベランダで踏みつけ、放置した。腐り始めたところで、生ごみの日に捨てた。
サボテンが部屋から消えたことに気づくと、彼女はたちまち体調を崩した。
半狂乱の彼女の額に最後のキスをして、病院行きのバスに放り込んだ。
手を振り見送り、清々したと、顔が弛む。唇に、鋭い痛みが走った。サボテンの棘が刺さっている。
ビーケーワン怪談投稿作
トカゲの尻尾を踏んだ話
靴底越しに感ずるトカゲの尻尾がやけに生々しい。尻尾を失くしたトカゲは一瞬恨めしそうにこちらを見上げ、しゅるしゅると植え込みの中に消えて行った。少し考えて、千切れた尻尾は持ち帰ることにした。
尻尾は干からびることもなく、机の上に居る。時折ひゅるりと動くような気配があるが、たぶん目の錯覚だろう。
ヤモリがよく来るようになった。窓に貼り付いている。はじめは一匹、二匹だったのが、いつのまにか増え、夥しい数のヤモリが毎晩、規則正しく並んで窓に貼り付く。流石に気味が悪い。しかし、ヤモリは家守、縁起は悪くないはずだ。
とうとうトカゲがやってきて「尻尾を返して欲しい」と訴えた。
「もう新しい尻尾が生えているではないか」
「それとこれとは性質の異なる尻尾でして」云々かんぬん。
「それに、貴方もお困りでしょうから」トカゲは窓を見遣る。
「ヤモリのことか。ヤモリぐらいどうってことはない。噛まれるわけでもなし」
「ヤモリ? わたしはトカゲですが」
要領を得ない。ともかく尻尾は返した。その晩からヤモリは来なくなった。
休日、ヤモリの跡が残る窓を拭こうとして気が付いた。ヤモリだと思っていたものは、人の手だったようだ。道理でトカゲと話が通じない。
ビーケーワン怪談投稿作
尻尾は干からびることもなく、机の上に居る。時折ひゅるりと動くような気配があるが、たぶん目の錯覚だろう。
ヤモリがよく来るようになった。窓に貼り付いている。はじめは一匹、二匹だったのが、いつのまにか増え、夥しい数のヤモリが毎晩、規則正しく並んで窓に貼り付く。流石に気味が悪い。しかし、ヤモリは家守、縁起は悪くないはずだ。
とうとうトカゲがやってきて「尻尾を返して欲しい」と訴えた。
「もう新しい尻尾が生えているではないか」
「それとこれとは性質の異なる尻尾でして」云々かんぬん。
「それに、貴方もお困りでしょうから」トカゲは窓を見遣る。
「ヤモリのことか。ヤモリぐらいどうってことはない。噛まれるわけでもなし」
「ヤモリ? わたしはトカゲですが」
要領を得ない。ともかく尻尾は返した。その晩からヤモリは来なくなった。
休日、ヤモリの跡が残る窓を拭こうとして気が付いた。ヤモリだと思っていたものは、人の手だったようだ。道理でトカゲと話が通じない。
ビーケーワン怪談投稿作
2010年7月17日土曜日
チェロに抱かれた女の子
真っ赤なチェロケースが女の子を抱いて歩いている。いや、チェロケースを背負った女の子が歩いている。
どうしても、女の子がチェロに抱きかかえられているようにしか見えない。この子がチェロを弾くんだろうか。それを想像したら、可笑しいような、いじましいような気持ちになって、顔が綻んだ。
それを目ざとく見つけられてしまったらしい。
「おじさん、わたしみたいなチビがチェロを弾くなんてって、バカにしたでしょ?」
見知らぬおじさんに頬っぺたを膨らませながら突っ掛かる女の子を見て、もっと笑ってしまう。
「今夜、コンサートなの。聴きに来て。ちゃんとバイオリン持って来てね」
これは参った。おじさんがバイオリン弾きだと、どうしてわかった?
「内緒。とにかく来てね」女の子がずいと差し出したチケットを受け取る。
夕刻、コンサート前に女の子の楽屋を訪ねた。そこに女の子は居らず、蓋の開いたチェロケースだけがあった。
無用心だな、楽器の側を離れる時は、気をつけないと。
近付き楽器を覗き込むと、懐かしい音色で話しかけられた。
かつて、憧れていたひとが演奏していたチェロだったのだ。
「彼女は元気かな?」
チェロの答えは「ノー」だった。女の子は、彼女の忘れ形見だと、チェロは奏でた。
赤いワンピースでおめかしをして戻ってきた女の子に彼女の面影を見出だしながら、レクイエムをやろう、と持ち掛けると、女の子は「もうバレちゃったね」と、笑った。
どうしても、女の子がチェロに抱きかかえられているようにしか見えない。この子がチェロを弾くんだろうか。それを想像したら、可笑しいような、いじましいような気持ちになって、顔が綻んだ。
それを目ざとく見つけられてしまったらしい。
「おじさん、わたしみたいなチビがチェロを弾くなんてって、バカにしたでしょ?」
見知らぬおじさんに頬っぺたを膨らませながら突っ掛かる女の子を見て、もっと笑ってしまう。
「今夜、コンサートなの。聴きに来て。ちゃんとバイオリン持って来てね」
これは参った。おじさんがバイオリン弾きだと、どうしてわかった?
「内緒。とにかく来てね」女の子がずいと差し出したチケットを受け取る。
夕刻、コンサート前に女の子の楽屋を訪ねた。そこに女の子は居らず、蓋の開いたチェロケースだけがあった。
無用心だな、楽器の側を離れる時は、気をつけないと。
近付き楽器を覗き込むと、懐かしい音色で話しかけられた。
かつて、憧れていたひとが演奏していたチェロだったのだ。
「彼女は元気かな?」
チェロの答えは「ノー」だった。女の子は、彼女の忘れ形見だと、チェロは奏でた。
赤いワンピースでおめかしをして戻ってきた女の子に彼女の面影を見出だしながら、レクイエムをやろう、と持ち掛けると、女の子は「もうバレちゃったね」と、笑った。
2010年7月15日木曜日
2010年7月12日月曜日
2010年7月7日水曜日
2010年7月4日日曜日
踏切にて
遮断機が降りる。もう終電は過ぎたはずなのに。
線路を渡らないと帰ることができない。
遮断機を潜って渡ろうか。
そう思った途端に、電車が近づいてきた。目の前を走り抜けたのは、随分昔に廃止となった旧型の電車だった。子供の頃によく乗っていたから、三十年ほど前の車両だ。
遮断機が上がる。あの電車はどこに行くのだろうか。
昔の記憶が蘇る。若かった父や母、毎日遊んだ友達。ランドセルの傷。
あの電車に乗るにはどうしたらいいのだろう。
豆本フェスタが終わったら、豆本作りは一休み……と思っていたのだけれど、そうならない空模様。
線路を渡らないと帰ることができない。
遮断機を潜って渡ろうか。
そう思った途端に、電車が近づいてきた。目の前を走り抜けたのは、随分昔に廃止となった旧型の電車だった。子供の頃によく乗っていたから、三十年ほど前の車両だ。
遮断機が上がる。あの電車はどこに行くのだろうか。
昔の記憶が蘇る。若かった父や母、毎日遊んだ友達。ランドセルの傷。
あの電車に乗るにはどうしたらいいのだろう。
豆本フェスタが終わったら、豆本作りは一休み……と思っていたのだけれど、そうならない空模様。
2010年7月2日金曜日
守護神、悄然とす
ファイレ島に棲みたる老いた人のやることなすこと、腹黒い。
風のない日は、棕櫚の木にしゅらしゅしゅ昇り、しょんぼり古址を眺めている。
There was an Old Person of Phila,
Whose conduct was scroobious and wily;
He rushed up a Palm,
When the weather was calm,
And observed all the ruins of Phila.
エドワード・リア 『ナンセンスの絵本』より
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