線香の煙が、僧侶の読経に合わせ、燻る。
それを初めて見たのは、曾祖母の葬式だった。私はもうすぐ四歳になる頃で、胡座をかいた父の膝の中に収まっていた。
煙はまさしく曾祖母の気配そのもので、それは案外楽しそうだった。
「おおきいおばあちゃんが、踊っているよ」
と、父に耳打ちしたけれども、父は聞こえたのか聞こえなかったのか、宥めるようにポンポンと私の頭に触れるだけだった。
それが、ちょうど木魚と同じタイミングだったので、曾祖母はとても面白かったらしく線香はいよいよ煙った。
人々は咳を堪えて、咳払いをし、涙目をこすったから、知らぬ人が見ればさぞかし悲しい葬儀に見えただろう。
大人になった私は、相変わらず線香の煙で故人の様子がわかる。
お盆のときは、盛大に線香を焚くから、母が不機嫌だけれども、どうしようもない。