雑貨屋で見つけた袋入りの青い硝子のビーズは、店主によると「アンティークだ」そうだ。
気に入った一袋を求め持ち帰り、金魚鉢に入れ、水を注いだ。
金魚はいない。ただビーズだけが底にある。
夜になると、なにやら金魚鉢が騒がしい。
「今夜は満月だ」「満月だ」
と口々にビーズが言う。ビーズも大勢いると声は大きくなるらしい。
ベランダに金魚鉢を置くと、ビーズたちがうっとりとするのが手に取るようにわかった。運んできたばかりだというのに、金魚鉢の水はぴたりと波を鎮める。
「なぜそんなに月が好きなんだ?」
と呟くと
「我々は月の女神セレーネのネックレスである」
といきなり仰々しく声を揃えて言うので、笑った。ほんとかしらん?
ともあれ、確かに銀色に輝く満月によく映える青だ。
そういえば、しばらく月を眺めていなかった。
(341字)
2009年5月29日金曜日
クラゲの詩
僕の恋人は小さなクラゲを胎内に飼っていた。
「やさしくしてね」
抱き合う度に真剣な眼差しでこう訴えるのは、奥に棲むクラゲを驚かせたり傷つけたりするな、という彼女の命令。だけど僕にはクラゲがいる感触などわからない。
ある朝、彼女は突然海に行くと言い出した。クラゲの命が終わりに近づいているという。最後に海に帰してやりたい、と。
僕は、涙を浮かべながらお腹を撫で続ける彼女を助手席に乗せ、海に向かった。
誰もいない浜辺で、僕の恋人は裸になる。まだ冷たい海に入り、クラゲを産み落とすのだという。
独りになりたいから帰って欲しいと彼女は言った。
僕は逆らえない。彼女を海に残し部屋に戻る。
あれから一週間経つのに、僕の恋人は戻らない。まだクラゲを産めずにいるのだろう。きっとそうだ。
(329字)
「やさしくしてね」
抱き合う度に真剣な眼差しでこう訴えるのは、奥に棲むクラゲを驚かせたり傷つけたりするな、という彼女の命令。だけど僕にはクラゲがいる感触などわからない。
ある朝、彼女は突然海に行くと言い出した。クラゲの命が終わりに近づいているという。最後に海に帰してやりたい、と。
僕は、涙を浮かべながらお腹を撫で続ける彼女を助手席に乗せ、海に向かった。
誰もいない浜辺で、僕の恋人は裸になる。まだ冷たい海に入り、クラゲを産み落とすのだという。
独りになりたいから帰って欲しいと彼女は言った。
僕は逆らえない。彼女を海に残し部屋に戻る。
あれから一週間経つのに、僕の恋人は戻らない。まだクラゲを産めずにいるのだろう。きっとそうだ。
(329字)
2009年5月28日木曜日
クジラのことを考える
溺れるのは苦しすぎるから、ただただ水を飲み込んだ。
海の水は、本当に塩辛い。すぐに飲み込むことも苦しくなった。おなかが破裂する。
「じゃあ、ぼくの仲間になるかい?」
声を掛けてきたのは、海洋性動物プランクトンだった。小さいの。名前は知らない。
わたしは少し考えてから、こう答えた。
「プランクトンになったら、きっとわたしヒゲクジラに食べられるのね。シロナガスクジラがいいな」
もう苦しくない。
(190字)
海の水は、本当に塩辛い。すぐに飲み込むことも苦しくなった。おなかが破裂する。
「じゃあ、ぼくの仲間になるかい?」
声を掛けてきたのは、海洋性動物プランクトンだった。小さいの。名前は知らない。
わたしは少し考えてから、こう答えた。
「プランクトンになったら、きっとわたしヒゲクジラに食べられるのね。シロナガスクジラがいいな」
もう苦しくない。
(190字)
2009年5月26日火曜日
憂鬱な水中花
僕は水中で咲く花だ。憂いと息苦しさを糧に咲く花だ。
淀んだ沼の中も、澄んだ水の中も、苦しさはたいして変わりない。もちろんヘドロを問題にするなら、沼は実際辛いだろう。水中はどこでも苦しいのに、沼はその上汚くて臭い。ただ、そのぶん咲いた花は派手なはずだ。その代わり、花開いた姿を誰かに見せびらかすことはできない。たまにアメリカザリガニが通るだけだ。だから、どうせ沈むなら泉のほうがいいと言う花は多いよね。
海はやはり深いから、沼とも泉とも違う。どこまで沈めば花が咲くのかわからない。
わからないわからないと憂いながら潮に流され、流されたままいつのまにか花が咲いた。
咲いたというのにまだ流され、沈む。
一体どこまで沈むのか。花が開いたまま沈むとどうなるのか、わからないわからない。僕の身体に、もうひとつ憂いの蕾があるのか。わからないわからない。
(365字)
淀んだ沼の中も、澄んだ水の中も、苦しさはたいして変わりない。もちろんヘドロを問題にするなら、沼は実際辛いだろう。水中はどこでも苦しいのに、沼はその上汚くて臭い。ただ、そのぶん咲いた花は派手なはずだ。その代わり、花開いた姿を誰かに見せびらかすことはできない。たまにアメリカザリガニが通るだけだ。だから、どうせ沈むなら泉のほうがいいと言う花は多いよね。
海はやはり深いから、沼とも泉とも違う。どこまで沈めば花が咲くのかわからない。
わからないわからないと憂いながら潮に流され、流されたままいつのまにか花が咲いた。
咲いたというのにまだ流され、沈む。
一体どこまで沈むのか。花が開いたまま沈むとどうなるのか、わからないわからない。僕の身体に、もうひとつ憂いの蕾があるのか。わからないわからない。
(365字)
2009年5月25日月曜日
2009年5月24日日曜日
2009年5月23日土曜日
水槽に住む人
いつからか、君は水槽で暮らすようになった。大勢の熱帯魚が暮らしていた水槽に断りなく入り込み、繊細な熱帯魚たちは、たちまち一人残らず死んでしまった。
相変わらず君は饒舌だけれど、水槽越しに聞く君の声はごぼごぼしていて、何を言っているのか、ちっともわからない。
君は水槽の硝子に手を付けてこちらを見つめ、口付けようとする。はじめのうちは応えようとしたけれど、硝子越しの接吻には何の意味もないと気付いてからは、やめた。
それでも、君は何事か訴えようとする。わからない。通じていないことをもどかしく思っているらしいことだけは、わかる。じゃあ、なぜ水槽の住人になったのと訊ねる。その答えもごぼごぼしていて理解できない。
(301字)
相変わらず君は饒舌だけれど、水槽越しに聞く君の声はごぼごぼしていて、何を言っているのか、ちっともわからない。
君は水槽の硝子に手を付けてこちらを見つめ、口付けようとする。はじめのうちは応えようとしたけれど、硝子越しの接吻には何の意味もないと気付いてからは、やめた。
それでも、君は何事か訴えようとする。わからない。通じていないことをもどかしく思っているらしいことだけは、わかる。じゃあ、なぜ水槽の住人になったのと訊ねる。その答えもごぼごぼしていて理解できない。
(301字)
2009年5月21日木曜日
呼吸
海面を突き破り、大きく息を吸う。
あ、またあの子がいる。最近よく見かけるあの子は種族が違うから、ぼくと同じようにこちらを認識しているかどうか、わからない。確かめる術もない。
しばらくあの子を感じていたかったけれど、すぐに海中に消えてしまった。なぜか海中ではあの子を察知することができないから、呼吸の瞬間が偶然合わなければ、見ることはない。
この広い空に誰かと同じタイミングで顔を入れるなんて、そうそうあることじゃない。呼吸の回数は、種族にもよるけれど一日に何十回もあるものではないし、一度の呼吸だって長くは掛からない。ましてやぼくの視界に入る範囲で、となれば、一人の人と遭遇する確率は本当に小さいはずだ。
それなのに、近頃は必ずと言っていいほど、あの子と遭遇する。
ぼくがあの子を想いながら呼吸するせいだろうか。そう思いたいけれど、だからそれが何かの証になるかといえば、何も示してない気がする。
この「偶然」を、誰かぼくに説明してほしい。
(413字)
あ、またあの子がいる。最近よく見かけるあの子は種族が違うから、ぼくと同じようにこちらを認識しているかどうか、わからない。確かめる術もない。
しばらくあの子を感じていたかったけれど、すぐに海中に消えてしまった。なぜか海中ではあの子を察知することができないから、呼吸の瞬間が偶然合わなければ、見ることはない。
この広い空に誰かと同じタイミングで顔を入れるなんて、そうそうあることじゃない。呼吸の回数は、種族にもよるけれど一日に何十回もあるものではないし、一度の呼吸だって長くは掛からない。ましてやぼくの視界に入る範囲で、となれば、一人の人と遭遇する確率は本当に小さいはずだ。
それなのに、近頃は必ずと言っていいほど、あの子と遭遇する。
ぼくがあの子を想いながら呼吸するせいだろうか。そう思いたいけれど、だからそれが何かの証になるかといえば、何も示してない気がする。
この「偶然」を、誰かぼくに説明してほしい。
(413字)
2009年5月19日火曜日
2009年5月18日月曜日
2009年5月14日木曜日
2009年5月13日水曜日
2009年5月11日月曜日
2009年5月9日土曜日
2009年5月8日金曜日
昼寝
授業に疲れると、いつもそっと教室を抜け出す。先生も、クラスの皆も何も言わない。別に無視されているわけではなくて、ただ当たり前のこととして。そんな皆の態度が、僕には何よりもありがたかった。
学校には空き教室がたくさんある。十年くらい前はまだこの辺りにも大勢子供がいたから教室が足りなくてね、と教頭先生は教えてくれた。でも今じゃ、使われている教室よりも空き教室のほうが多いくらいだ。
空き教室と言っても、それぞれ雰囲気が違う。美術室として使っていた部屋はなんとなく絵の具の匂いがするし、普通の教室もしんとした教室もあれば、ざわざわした気分になる教室もある。僕の一番のお気に入りは、「あの子」に逢える教室。
その教室は四階の奥から二番目にある。二階の自分のクラスを出て、授業の声を聞きながらそっと廊下を歩き、階段を昇る。歩いているうちに少しづつ具合が悪かったのが和らいでくるような気がする。
目的の教室に辿り着き、ドアを開けると花の香りが僕を包む。ピンク色のカーテンが目にまぶしい。ほかの教室は緑色っぽいカーテンだけれど、ここだけかわいらしいピンク色だ。その理由を訊ねると、「あの子が好きだった色だからだよ」と教頭先生が教えてくれた。僕が初めて教室を抜け出して、校舎をうろうろとしている時にこの教室に連れてきてくれたのが、教頭先生だった。
窓は閉まっているのに、カーテンがふうわりと膨らむ。僕は念入りに床を探し回る。どこかに影猫がいるはずだった。最近は影猫もかくれんぼが得意になって、探すのが大変だ。花瓶を倒さないようにしなくちゃ。
ようやく教卓の影からしっぽが伸びているのを見つけた。
「にゃあ?」
教卓から出てきた影猫を抱いて、あの子の座っていた一番前の席で僕は少しだけ眠る。
NHKパフォー 投稿作品
学校には空き教室がたくさんある。十年くらい前はまだこの辺りにも大勢子供がいたから教室が足りなくてね、と教頭先生は教えてくれた。でも今じゃ、使われている教室よりも空き教室のほうが多いくらいだ。
空き教室と言っても、それぞれ雰囲気が違う。美術室として使っていた部屋はなんとなく絵の具の匂いがするし、普通の教室もしんとした教室もあれば、ざわざわした気分になる教室もある。僕の一番のお気に入りは、「あの子」に逢える教室。
その教室は四階の奥から二番目にある。二階の自分のクラスを出て、授業の声を聞きながらそっと廊下を歩き、階段を昇る。歩いているうちに少しづつ具合が悪かったのが和らいでくるような気がする。
目的の教室に辿り着き、ドアを開けると花の香りが僕を包む。ピンク色のカーテンが目にまぶしい。ほかの教室は緑色っぽいカーテンだけれど、ここだけかわいらしいピンク色だ。その理由を訊ねると、「あの子が好きだった色だからだよ」と教頭先生が教えてくれた。僕が初めて教室を抜け出して、校舎をうろうろとしている時にこの教室に連れてきてくれたのが、教頭先生だった。
窓は閉まっているのに、カーテンがふうわりと膨らむ。僕は念入りに床を探し回る。どこかに影猫がいるはずだった。最近は影猫もかくれんぼが得意になって、探すのが大変だ。花瓶を倒さないようにしなくちゃ。
ようやく教卓の影からしっぽが伸びているのを見つけた。
「にゃあ?」
教卓から出てきた影猫を抱いて、あの子の座っていた一番前の席で僕は少しだけ眠る。
NHKパフォー 投稿作品
2009年5月6日水曜日
おじさんの家
おじさんの家は、廃屋同然のボロ小屋で雨露を凌いでいるかどうかも怪しいような有様だった。おじさんは別にオケラではなかった。ちゃんと働いていたし、高級なレストランに時々連れて行ってくれた。
そんなおじさんも年を取り、病院の寝台でうつらうつらするだけになった頃、僕は訊いた。
「ねえ、どうしてあんなボロい家に住んでいたの?」
おじさんは薄く目を開けて、ニヤリとした。しゃがれ声で切れ切れにこう言った。
「あの家の、雨漏りは、どんな水より甘かった」
雨漏りってよりそのまま雨だったじゃないか、と僕が笑うと
「そうだっけなあ」
と言ってまた眠ってしまった。
おじさんの家は、まだそのままある。今度の週末の天気予報は、雨だ。
(298字)
そんなおじさんも年を取り、病院の寝台でうつらうつらするだけになった頃、僕は訊いた。
「ねえ、どうしてあんなボロい家に住んでいたの?」
おじさんは薄く目を開けて、ニヤリとした。しゃがれ声で切れ切れにこう言った。
「あの家の、雨漏りは、どんな水より甘かった」
雨漏りってよりそのまま雨だったじゃないか、と僕が笑うと
「そうだっけなあ」
と言ってまた眠ってしまった。
おじさんの家は、まだそのままある。今度の週末の天気予報は、雨だ。
(298字)
2009年5月3日日曜日
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