2013年6月27日木曜日

増毛(お題:毛)

幼い娘の髪を切ってやるのは数ヶ月に一度の私の役目であったが、それは妻より私のほうが散髪が巧かったからというわけではなかった。妻に切らせることはできないと、気づいた私がその仕事を買って出たのだ。


切落した娘の頭髪は、またたく間に増殖するのである。毛から次々と毛が生えるのを目の当たりにした私は、それを妻に伝えることができなかった。切り落とした毛ほどではないが、抜け落ちた毛も少しは増えるようである。


「この子は抜け毛が多いのよ。若いからかしらね」と綺麗好きな妻は時々そう言うけれど、娘の奇っ怪な毛の性質については未だ気がついていない。


騙し騙し私が切っていた娘の髪だが、高校生ともなるとさすがに美容院へ行きたがるようになった。


「お父が切るほうがいいだろ?」と言いながら目で問うてみると、娘はクスっと笑った。


娘の行った美容院は間もなく潰れてしまうので、この町から美容院がなくなる日も遠くないだろう。



2013年6月25日火曜日

果物屋(お題:果物)

新しく引っ越してきた町の商店街には立派な果物屋があるのだが、客を見掛けたことがない。


商売やっていけるのかと訝しんでいたが、魚屋のおばさんが「あそこはカブトムシにしか売らないのよ」と教えてくれて合点する。



2013年6月24日月曜日

胃袋反転(お題:空腹)

 その男は腹が透けて見える。
 初めて見せてもらったときには、「ああ、理科室の人体模型って、正しいんだな」と些か間抜けなことを言ってしまった。
 男は腹が透けて見える代わりに、空腹中枢がイカれている(本人談)のだそうで、空腹を自覚することが難しいらしい。
 なるべく決まった時間に食事をするように心がけてはいるが、時折腹を覗いて、胃袋の中を確かめなければならない、と。
 子供の時は、自分の胃袋に吸い込まれる夢をよく見たらしい。それは、空腹に耐えかねた胃袋が膨張し、腹を突き破り、やがて破裂した胃袋が裏返って自分の身体が己の胃袋に飲み込まれる、というような夢だそうだ。
「最近は滅多に見ないけれどね」と笑う男に俺は笑い返せなかった。その夢は、俺もよく見るのだ。

2013年6月23日日曜日

長い眠り(お題:眠り)

ミイラに添い寝していた猫は、盗掘者のせいで心地良い眠りから覚めてしまった。


ずいぶん抗議したけれど、盗掘者はまさか3000歳の猫とは知らない。


とうとう猫は盗掘者の飼い猫となってしまった。


まあ、起きているのも悪く無いかな、もう3000年くらいは。とひなたぼっこをしながら考えている。



2013年6月22日土曜日

ブロック塀の歌(お題:歌)

「お歌歌ってるね」と、坊やが必ず言うのは、あるお宅のブロック塀の前だった。


色々観察してはみるが、歌を歌いそうなものは何もない。


顔を近づけてみたり、ちょっと指で弾いてみたりしても、やはり何も聞こえない。


小さな子供だけに聞こえる歌なのかしら。私はずいぶん前に子供ではなくなってしまった。


それでも「お歌」が聞きたくて、坊やが寝ている間にそっと家を出た。聴診器を持って。


周りを窺ってそっと聴診器をブロック塀に当てた。「アメイジング・グレイス」によく似たブロック塀の歌が聞こえた。



2013年6月19日水曜日

オン・ザ・ロック(お題 透明)

オン・ザ・ロックが宙に浮いているように見えるのは、そのグラスが余りにも薄く、透明度が高いからである。


そのグラスを作った硝子職人は透き通った無色の虹彩と瞳孔を持つと噂されているが、彼に会ったことがあるという人は、七十年前に死んだ。



2013年6月16日日曜日

無題

秒針がサボっているのに遭遇して、見ちゃってゴメンと腕時計に謝りたくなる。



2013年6月14日金曜日

無題

傘立ての中で忘れ去られた蛇の目傘の蛇の目は、すっかり干からびて涙も枯れた。


五才の人が、家中の傘をひっぱり出して道に広げたもんだから、久しぶりに蛇 の目は目を見開くことができた。


積乱雲が見える。そして夕立。


雨が降ってよかったねと、五才の人が蛇の目に潜りながら言う。



#twnvday 6月14日ついのべの日 お題「ぐるぐる」 サブ企画「雨が降ってよかった」


2013年6月13日木曜日

無題

母が作る雑巾の刺し子はいつも渦巻き模様で、だから私は掃除が苦手だった。四隅が拭けないのだ。


それならばと、大人になった私は丸い窓の付いた丸い家を建て、丸いテーブルで紅茶を飲む。掃除はもう、苦手じゃない。



#twnvday 6月14日ついのべの日 お題「ぐるぐる」


無題

旋風にひょいと杖を引っ掛けてどこかへ飛んでいってしまったおじいさん。初恋の人は、メリー・ポピンズだそうだ。



#twnvday 6月14日ついのべの日 お題「ぐるぐる」


2013年6月7日金曜日

巻貝に住む人

幼稚園の園庭には、巻貝を模した遊具があった。遊具と言っても子供が2人くらいしゃがみこんで入るスペースがあるだけで、特に何ということもない。だが、狭い所に入るのが好きなの子供は多いようで、他の遊具に引けをとらない人気があった。
マサキは、巻貝に入るのが大好きで、自分はきっとヤドカリの生まれ変わりなんだと信じ込んでいるような子供だった。
そして、そのまま大人になって、窮屈なはずの巻貝の遊具に相変わらず入ったままだ。
園児が寄ってくると、海の生活や海の生き物の話を聞かせる。話は巧いらしく、子供はじっと聞いている。
幼稚園の先生や保護者からは度々マサキを追いだそうという話が出る。実際、警察が呼ばれたこともあったが、結局マサキはいまでも巻貝の住人である。