2012年10月31日水曜日

自動販売機

三台並んだ自動販売機、どんなに喉が渇いていようと右の自動販売機は絶対に使わない。
右の釣り銭口からは、いつも舌が出ている。
ベロベロと舌なめずりをしながらよだれを垂らしている。
あれで、釣り銭を取り出す指先をしゃぶられたら、きっと真っ赤にかぶれると思う。

2012年10月27日土曜日

実に危なっかしい

アブルッツィのじいさんは、目が悪くて足元も見えない。
「これがあなたのつま先ですよ」と皆が教えてあげるのに、じいさんは「あやふやだね」と答える。
おぼつかない、アブルッツィのじいさん。
There was an Old Man of th' Abruzzi,
So blind that he couldn't his foot see;
When they said, 'That's your toe,'
He replied, 'Is it so?'
That doubtful Old Man of th' Abruzzi.
エドワード・リア 『ナンセンスの絵本』より

2012年10月22日月曜日

オレンジ色の人

「授業のノート、貸して欲しいんだ。先週、休んじゃって」


ノートを借りるという口実で、いつも前の席に座る彼女に話しかけた。


彼女はあっけらかんとした口調で「いいよ。ちゃんと来週、返してね?」と言ってノートを貸してくれた。


彼女のノートは、全てオレンジ色のペンで書き込まれていた。板書はもちろん、教授の言葉まで書き留めてあった。


オレンジ色の文字は、あまりにも眩しく、僕は自分のノートに書写すのに、ずいぶん苦労した。


それでもノートから彼女のことを少しでも知ろうと、いつになく丁寧に写したのだった。


約束通りノートを返す日が来た。


「どうもありがとう。すごく丁寧に書いてあって助かったよ」


と言う僕に、彼女は頬をオレンジに色に染めて興奮気味に言った。


「ノートが読めたのね?」


字がオレンジ色だったけど、何か意味があるの? と戸惑いながら訊く。


「私のノートの文字が読めた人は、初めて! 嬉しい!」


と、ギュっと抱きついてきた。


彼女の髪から、爽やかなオレンジの香りがする。



2012年10月17日水曜日

可憐な罠

白詰草で出来た小さな小さな罠に引っ掛かり、転んでしまった妖精を、窓から目聡く見つけてクスっと笑った寝たきりのおばあさん。



2012年10月15日月曜日

無題

酒臭い老人は、ボロボロのノートを大事そうに抱えている。「そのノートは何ですか」と尋ねれば「日記帳さ」と答える。ワインのラベルがびっしり貼り付けてあるそのノートの最初の日付は百年前だが、老人以外は誰もそれを知らない。 



10月14日ついのべの日 お題


2012年10月11日木曜日

人形を返却した話

図書館へ向かう道は、いつもと同じはずだった。植え込みの上で倒れている人形を見るまでは。
人形は薄汚れ、瞼は閉じるでもなく、薄目を開けて空を見ていた。私はその人形を避けるように歩いた。
図書館に着くと、職員たちが全員、薄目を開けたような顔をしていた。あの人形そっくりだった。
私は人形の元に戻り、抱きかかえて図書館に行った。
人形を職員に渡すと、彼は愛おしそうに人形を撫でた。
そして人形は童話に、職員たちの顔にも生気が戻った。

2012年10月8日月曜日

冬肥りにはワケがある

モルドに暮らす老人は大の寒がり。
フワフワとモフモフとフカフカを買い漁り、
包まってモコモコになったモルドの老人。
There was an Old Person of Mold,
Who shrank from sensations of cold,
So he purchased some muffs,
Some furs and some fluffs,
And wrapped himself from the cold.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』より

2012年10月4日木曜日

クラシカルクジラ

古典的な鯨は、木偶の坊を飲み込む。


ちょっと鼻が長い奴。



2012年10月3日水曜日

たびや

 足袋屋が何よりも大切にしているもの、それは上得意の足型。
 丁寧に作られた木型と帳面が対になっていて、帳面には客の名前と足の寸法、型を取った日付、それから足の特徴やら客の好みやらが事細かに書き込んである。
 私は足袋屋からその足型を預かって保管するという商いを営んでいる。足型が欠けたり、帳面が虫に食われたりしないよう、一組づつ特製の箪笥に仕舞ってある。すべての抽斗に鍵が掛けられていて、どれがどの鍵か判るのは、私だけだ。
 もう一つの大事な仕事は、この足型を旅に出すことである。
「足型といえども、足は足。歩かなくっちゃあ鈍っちまうよ」
 これは死んだ爺さんからよく聞かされた言葉だ。
 足型の持ち主であるお客の健脚を祈るまじないと、行き先と帰り時間を紙に書き、そっと抽斗の中に入れる。鍵は開けておかなくともよい。どこからどうやって足型が旅に出るのかは、私もわからない。
 帰ってきた足型は時々マメを拵えてくるやつがあるから、油を染み込ませた布で磨いてやる。


 


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落語超短編投稿作 タカスギシンタロ賞受賞



2012年10月1日月曜日

十六夜

「台風一過の十六夜は、あまりに眩しいので、サングラスならぬムーングラスが必要なのだ」
男は、もっともらしいことを言う。
ムーングラスとやらは、まん丸いメガネで色はついていない。
「いい声ですね」
すると、男はポケットから愛おしそうに鈴虫を出して見せた。
鈴虫が鳴くと、ムーングラスはすこし歪むらしい。ムーングラスが歪むと、男の目が潤んでいるようにも見えた。
十六夜の月に似ていると思った。