2012年7月27日金曜日

サンダル

 グニュ、とも、ブニュ、ともつかない、奇妙な踏み心地だった。
 新しく買ったサンダルは、履いたその日に壊れてしまった。
 壊れたというのは正確ではないか。だって革が切れたわけでも、底が外れたわけでもないのだから。
 そりゃあ、もう、何度も矯めつ眇めつあちこち検めたから、間違いない。物理的にはどこも壊れていない。
 ただ、へんてこな気味の悪い踏み心地が、時折現れるのだった。
 一体、このサンダルの前世は何を踏んでしまったのだろう。そう考えながら、真夏のアスファルトを歩く。
 最近、よく蛇を見るのは、何故だろうね。


2012年7月25日水曜日

失くした傘を探した話

傘は、雨が降っている間はそれはそれは従順だけれども、雨が上がってしまえば拗ねる。
いや、気がそぞろになるのかもしれない。傘が閉じられる、それはつまり骨同士がひどく接近することだ。これではろくなことはないだろう。
というわけで、雨上がりの夏の夜、傘をどこかに忘れてきてしまった。電車の中かしら、レストランかしら、とあちこち電話で尋ねてみたら、傘はデパートの靴売り場にあった。
よく似た色の長靴の傍で見つかったそうだ。私は靴売り場の店員に丁重に礼を言い、傘と同じ色の長靴を買って帰った。

2012年7月19日木曜日

とまどいもしない

「貴方、誰……でしたっけ?」
 と、訊かれるのは毎日のこと。
 父や母や、同級生や、駅員さんや、コンビニのお兄さんや、その他大勢のすれ違う人々に、揃いもそろってとうもろこしの欠片が歯にひっかっかったような顔で尋ねられるのだ。
「私は……誰でしたっけ?」
 と、やり過ごすのも上手くなったつもりだけれど、このごろ本当に誰だかわからなくって、時々雲を抱いて泣くのだ。


2012年7月14日土曜日

無題

三尺玉は夜空を彩りのよい火花で埋め尽くした。その爆音は、病院通いで澱のように溜まった疲労を押し出してくれたようだ。不思議とすっきりしたのを覚えている。


暑い夏だった。祖父は、その夜の花火に誘われて空へ出かけたまま、それきり戻らない。



7月14日ついのべの日 お題


2012年7月13日金曜日

兎の元服

寺には丸い窓がある。
そこには硝子も格子も入ってはいないが、通ることが出来るのは、元服した兎だけであるという。
中秋の名月、そこから兎は育った寺を出ていく。月に帰るのである。
まだ私は兎を見送ったことはない。
この窓を兎だけが通ることができると聞いたのは子供の頃だった。
何度も外に手を出そうと試みたが、強い風圧のような力で押し返されてしまうのだった。

昨日、兎が「元服しました」と報告に来た。次の満月で兎は行ってしまう。


明月院で。

2012年7月6日金曜日

ドミノの時代

 私がかつてドミノに夢中になっていた頃の話だ。
 寝食を忘れてドミノを並べていた私は、息をするのも歩くのも、すべてがドミノのためであった。
 ついにドミノを並べ終えたとき、うっかりため息を吐きそうになり、慌てて飲み込んだものだ。
 ドミノを倒す時が来た。それは予め日時が決められていた。
 私は、震える人差し指でちょん、とスタートのドミノに触れた。
 パタパタパタパタパタと、ドミノが音を立てて倒れていく。
 目覚まし時計が大声で喚きだした。時計もまた、長く沈黙を続けていたのだ。


2012年7月3日火曜日

切り取られた男

ハサミを使えるようになったばかりの四歳の坊やは、紳士服の広告から髭の男を切り取った。


坊やは真剣にハサミを使ったが、どうにもギザギザの男になってしまったので、母にもっと綺麗に切ってくれるよう頼んだ。


そのせいで、髭の男は少々小さくなった。


それでも広告から自由になった男は、坊やの元をあっけなく去った。不本意なスーツではなく好きな格好をしようと考えたのだ。


しかし、男が着られる服というのは、紙でできた着せかえ人形のものだけだったので、男は仕方なく白いワンピースを着ることにした。


そんな男を「かわいい!」と女の子が拾った。女の子はたくさんの服を持っていたから、男はピンクや黄色や水色のワンピースを次々着させられた。


坊やの元に帰る方法は、わからなくなってしまった。