2019年5月21日火曜日

遠慮する球体と液体

立派な身形の人は、想像通り、家も立派だった。
風呂を借りると、ビーズのような細かな球体の湯が溜まった湯船と、大きな穴のシャワーがあった。
恐る恐る湯船に浸かる。身体に触れたところからビーズの湯は液体に変わっていく。
ぐるぐると手足を動かしてみたが、全部が湯にはならなかった。どうしてもビーズの部分が残るのだ。
温かいビーズに埋もれているようであり、ゼリーに沈んだようであり、しばらく眼をつぶっていると、普通の湯に浸かっているのと変わらない気分にもなった。

シャワーは、湯船以上に不思議な体験だった。細かな球体の湯が降ってくるが、身体に触れた瞬間液体になり、流れていく。霰を浴びればさぞかし痛いだろうが、この街の球体の水は、痛くはない。
液体の湯と球体の湯がいまいち混ざりあわないまま、排水口に吸い込まれていく。流れる速度が異なるせいだろうと思うのだが、液体の湯と球体の湯は互いに少し遠慮しているようにも見えた。

不思議な風呂で、すっかり長くなってしまった。恐縮しながら出ると、立派な身形の人が笑顔で待っていた。
「温まりましたか? ああ、よかった。顔色もよくなった」

2019年5月12日日曜日

浄水と涙

氷とも違う、不思議な水の玉だった。口に入れた瞬間に水になった。
舌で水玉の感触を確かめたいと思うが、瞬時に水になってしまう。
「ずいぶんお疲れのようだ。……何か辛いことがあったようにお見受けします」
その人の話しぶりが、老ゼルコバに少し似ているような気がして、また涙が出そうになる。
「水は幾らでもありますから。賢い鳥さんもどうぞ」
と、次々と水の玉をくれた。鳥には、小さな水玉を。

「慣れない水、飲みにくかったでしょう?」
立派な身形の人だったが、気さくに隣に腰かけてきた。
「ここには液体がないのですか」
「いえいえ、浄水と涙だけです、こうして玉になってしまうのは。スープやお茶は、液体です。どうして浄水と涙だけなのか、研究者もずっと研究したままです。でも、意外と不便はありませんよ。水は口に入れば飲めるし、シャワーも慣れてしまえば気持ちのよいものです。どうですか? 我が家に来ませんか」
親切な人にすぐ出会える街は珍しい。幸運は幸運として受け取ろう。

2019年5月10日金曜日

固体では困る

液体が、結晶のようになってしまう街なのだろうか。
そんなのは困るではないか、水はどうする? 飲み水は? シャワーは?

「消えず見えずインクの旅券を持つ者に、飲み水を与える者はおらぬか!」
ずっと黙っていた青い鳥が突然叫んだ。確かに、泣き疲れて喉が渇いている。
青い鳥の声も少し枯れているようだ。

心にも体にも力が入らなかったから、 歩くのは諦めた。
青い鳥の声を聞いて、水を持ってくる人でも現れたら幸運だし、そうでなければもう少しここにいよう。

ベンチに座って、あたりを見渡す。涙が固まってしまったこと以外には、特に変わった様子はない。ここは、緑の多い公園のようだ。ケヤキの樹を見つけて、老ゼルコバを思い出し、また涙が溢れる。

ポロリと大きな涙粒を拾い上げる。透明で、光にかざすと輝き、本当にガラスのようだ。この街の雨がこんなふうに硬かったら困るではないか。

「涙はしょっぱいですから、これをどうぞ。喉が渇いているんでしょう?」
涙粒を観察していたら、透明な飴玉のようなものを差し出された。

2019年5月4日土曜日

涙の重さ

ぽっかりと体に穴が空いたようだった。喪失感というのは、この事を言うのだなと、嗚咽しながら、頭の端で冷静に分析していた。
なかなか泣き止むことができない。オニサルビアの君は、やはり近くにはいないようだった。老ゼルコバは、もちろんいない。白くサラサラと崩れていく様子を思い出し、また涙が溢れてくる。
涙が重い。こんなに泣くのは、大人になって初めてだから、涙の重さなんて忘れていた。

流れるままになっていた、ようやく涙や鼻水を手で拭った。
「痛っ」
細かな水晶のような、ガラスのような、透明な欠片が涙を拭いたはずの手のひらにびっしりついていた。