2011年10月30日日曜日

出がらしの出汁

ブイヨンスープにどぶんと落っこちた北の老人。
すかさず料理女がどっこらしょと鉤で釣り上げる。
この疲れきった北の老人。
There was an Old Man of the North,
Who fell into a basin of broth;
But a laudable cook,
Fished him out with a hook,
Which saved that Old Man of the North.

エドワード・リア「ナンセンスの絵本」

2011年10月25日火曜日

山中の活劇

猟師が狙うのは、猪か、鹿か……。
鷲は、高みからそれを見物していた。腕のいい猟師だが、まだ獲物の存在に気づいていないようだ。
右に行けば、まもなく鹿に気づくだろう。まっすぐ行けば猪。きっと猪を狙う。
鷲は、そう読んだ。銃声に驚き油断した鹿を、鷲は頂くつもりだ。
猟師は、まっすぐに進み、まもなく猪に気づいた。銃を構える。
鷲は、すっと鹿を狙って下降を始めた。
だが。もう一人の猟師が、鹿を見つけていたのだ。
よりによって日頃、鷲が馬鹿にしていた、下手な鉄砲でいくら撃っても当たらない猟師だった。
猪を仕留めた猟師が合図する。「鷲が来るぞ!」
鹿を狙った弾は逸れ、まっすぐに鷲に向かった。

繊細な鹿は、猪を撃つ音で気絶して、鷲を貫いた銃声で目覚め、ぶるりと身を震わせると走り去った。
知らぬは鹿ばかり。


2011年10月21日金曜日

大猩々に包囲されて

森の中を彷徨い、観念したとき、銀色の背中を持った大猩々に出会った。立派な男である。
大猩々は、私を背中に載せると歩きだした。握った拳を大地に突きながら、ゆっくりと歩く。
そのうち、疲れていた私は眠ってしまった。乗り心地が良かったのだ。

目が覚めると、私は大勢の大猩々に囲まれていた。とてつもない恐怖が沸き上がってきたが、銀色の背中を持つ男に運ばれたこと思い出し、彼らの見守るような視線を感じると、次第に気持ちが和らいできた。
彼らは、歓待してくれた。しかし、警戒もしていたのか、包囲は解かれないままだった。
もっとも私は衰弱していて、自力で逃げることはできなかったのだが。
彼らの与える食事と寝床で、私は次第に回復していった。
幾日が経ったのだろう、このまま森の住人になれそうな気がし始めていた頃に、「ヒトよ、そろそろ帰りなさい」という男の一声で、再び銀色の背中に跨った。
「ここでお別れだ、ヒトよ」
「お礼が何もできない……」
私が涙ぐむと、「森を守れ」とつぶやいて、彼は去っていった。
森の夜は暗い。見送ろうにも、木々に紛れてあっという間に姿は見えなくなった。
去りがたくて、しばらく森を眺めていると、一瞬だけ月の光に照らされた銀色の毛並みが見えた気がした。


2011年10月16日日曜日

鼬鼠の踊り

腹が減った鼬鼠は、いつもの俊敏さをすっかり失ってしまう。
失うのが俊敏さだけならよいのだが、恥も外聞もなくなり、あろうことか獲物の前で、「腹減った音頭」を踊り始めてしまうのだ。
鼬鼠に食われる動物たちも、これについてはよくよくわかっていて、
鼬鼠の踊りに合いの手を入れ、手拍子を打ち、大いに盛り上げる。
空腹と疲労で目を回すのを見計らって、鷹に合図をする。
鷹は軽々と鼬鼠を咥えて飛び上がると、鼬鼠の「腹減った音頭」をそっくり真似しながら旋回するのだ。


2011年10月10日月曜日

渡り鳥

渡り鳥は渡る。
寒さを避け、食料を求め、渡り鳥は渡る。
海を渡る。山を渡る。
時々、喇叭鳥の行列が通るから、そんなときには横断歩道を使わなくてはならない。
時々、飛行機に道を尋ねられるから、実は地図も持っている。
渡り鳥は渡る。

ラッパチョウの登場は初めてではない。

2011年10月7日金曜日

時計塔の下で

若い掃除夫が、時計塔の下を掃いている。
しかし、その塵取りには落葉の一枚すら入っていない。
「一体、何を掃き集めているのだね?」
掃除夫は、時計塔を見上げて言った。
「時計塔から、時間が降ってくるのを集めているのです」
「集めた時間はどうする?」
「時計塔に持ってあがります。時計塔が出来たときから、そうしています。私の仕事です」
この時計塔が建ったのは、百八十年前のことだ。



若い掃除夫が、時計塔の下を掃いている。
しかし、その塵取りには落葉の一枚すら入っていない。
「一体、何を掃き集めているのだね?」
掃除夫は、時計塔を見上げて言った。
「時計塔から、時間が降ってくるのを集めているのです」
「集めた時間はどうする?」
「時計塔に持って上がり、時計に戻します。時計塔が出来たときから、そうしています。私の仕事です」
この時計塔が建ったのは、三八十年前のことだ。


 


2013年9月川越バージョン


2011年10月3日月曜日

鱶の腹から飛行家の片腕

プロペラ飛行機乗りのマルは、どこでも自在に飛んだ。
ある日、大海原を低空飛行中、海の中を飛んでみたくなった。
ぐぐぐと高度を更に下げ、ついに海中に入った。
海中の飛行は、思ったよりも快適だった。小さな魚たちは驚いてマルを囲んだ。
そこへ巨大な鱶がやってきた。マルは必死で速度を上げた。鱶が追いかける。
ひょいと、鱶がマルの前に回りこんで、大きな口を開けた。

マルとマルのプロペラ飛行機は、鱶の中を飛んだ。
鱶の中で、マルは迷った。どこに向かえばいいのだろう。
そのうち、飛んでいるのか、飛んでいないのかもわからなくなった。
寝ているのか、起きているのかも、わからなくなった。
ふらふらと飛行機を降りる。もう、おしまいにしようと思ったのだ。
相棒に挨拶をしようと近づく。機体を撫でる。
マルの右腕は、勢い良く回り続けるプロペラに切断された。

浜に打ち上げられた巨大な鱶の死体を漁師たちが解体している。
腹から人の腕が一本出てきて、漁師たちがどよめいた。
若々しく、なめらかな肌が残っている。どこも腐っていなかった。
少し離れたところから、片腕のない老人がその様子を眺めている。