九月某日、曇。今年初めての柿を食べる。子供の頃は好まなかった。酸味も果汁もない果実は甘いだけのナニカであった。柿を食べられるようになったのは年を取ってよかったことのひとつだ。窓から鳥が恨めしそうに覗いているので「柿の木地図」をやった。渋柿ばかりだと念を押したが喜んで飛んで行った。
懸恋-keren-
超短編
2025年9月16日火曜日
2025年9月13日土曜日
暮らしの140字小説35
九月某日、曇時々雨。ブローチを失くした。二十年前か或いはもっと昔に貰った一番気に入っていたブローチ。どこか誰かの銀細工の作品だった。ないと気付いた時、意外にも悲しくなかった。ただただ針が付いた危険なものを落したことが気掛かりだ。悲しくない自分が悲しい。写真を撮っておけばよかった。
2025年9月10日水曜日
暮らしの140字小説34
九月某日、曇。風船の敬老会に呼ばれた。シワシワの赤い風船、空気が抜けてクタッとした橙色の風船、一人で浮遊している青い風船。それぞれに可愛い。私は萎びた黄色い風船を大事に持って、調子外れの歌を歌った。隣の白い風船は最長老、気持ちよさそうに浮いている。老風船にバルカン・サリュートを。
2025年9月5日金曜日
暮らしの140字小説33
八月某日、大雨。土砂降りの日には、徒歩二分「たぬきの店」へ買い物へ行く。「支払いは葉っぱのみ」。どうしても食料が足りないが外に出たくない日、つまり大雨の日に利用することになる。葉っぱは拾い集めておいて、銀行で「この葉っぱをお金にして下さい」と頼む。葉っぱの現金化には四十分掛かる。
2025年8月29日金曜日
暮らしの140字小説32
八月某日、晴。近くの家に葡萄が生っていた。空家になって久しいらしく鬱蒼としているが葡萄は勝手に生えたものではないだろう。十年もこの道を日々歩いているのに初めて葡萄に目が留まった。一体、何を見て歩いてきたのだろう。葡萄は色付いている粒もまだ青いのもあった。伸びかけた手を引っ込める。
2025年8月19日火曜日
暮らしの140字小説31
八月某日、晴。夏は茄子。丸いの、白いのを焼いたり蒸したりして食う。今年はなかなか水茄子に出会えなかったのだが百貨店でやっと求めることができた。こちらは生で食う。切れ目を入れたら手で割いて、塩を振って洋橄欖の油を垂らして食う。他にも思い出深い夏の茄子があるのだが、八年食べていない。
2025年8月12日火曜日
暮らしの140字小説30
八月某日、雨のち晴。これまで包丁一本で暮らしてきたが、小さい包丁を台所に加えた。果物を食べるようになったからだ。一昨年の初秋、鼻を盗まれた。二週間ほどで鼻は戻ってきたが、鼻のない間も果物だけは変わらず美味しく食べられた。鼻を盗んだ泥棒は最近も暗中飛躍しているようだ。用心せねば。