サイレンみたいな目覚まし時計で、飛び起きる。時刻は6時45分。いつもと変わらぬ朝ではない。
メロンパンが強烈に食べたくなったのだ。
朝食は、トーストとヨーグルトとコーヒー。トーストにはジャムをたっぷり付けて食べる。たまにトーストするのが面倒なことがあって、そんな日のためにシリアルのストックがある。丁寧に焼けないなら、トーストなんか食べないほうがマシだ。つまり我が家にメロンパンはない。
メロンパンへの衝動は一層激しい。仕方がない。通勤途中でメロンパンを買おう。
いそいそと出勤の支度を整えコンビニへ向かう。途中三回水溜まりに填まった。晴れているのに。
コンビニに入ると「いらっしゃいませ」と元気な声が降ってきた。店員はキリンだった。天井を突き破っているから頭は見えない。
僕はメロンパンと缶コーヒーと小銭をレジに置いた。お釣が要らないように。
キリンが「ありがとうございまぁす」と言うので、メロンパンと缶コーヒーだけ持って、コンビニを後にした。また三回水溜まりに填まった。
駅のホームにはヤギが列を作っていた。ヤギを押しやりながら、ホームのベンチに腰掛ける。やっとメロンパンが食べられる。涎が垂れ始めていた。が、もう少しだけ我慢してコーヒーを一口。
プルタブを開けるとヤギが一斉にこちらを見たから、コーヒーが甘い。ようやくメロンパンだ。メロンパンを欲してからもう23分も経ってしまった。いつもの電車が来るまで、18分。たっぷり時間はある。
メロンパンを齧ったその瞬間、ヤギが一斉にホームに飛び起きりて線路を歩き出した。
ヤギもいなくなったホームでたった一人、メロンパンを食べる。あれ程に欲していたのに、たいして美味しくない。賞味期限が二年前の今日だ。
2010年5月30日日曜日
2010年5月21日金曜日
雨に踊れば
傘が重い。ぐいぐいと引っ張られる。
これが台風だったら強風のせいだと言えるのだが、今夜は小糠雨、音もたてずに細かい雨が降り続いている。
傘はどんどん重くなる。この間、新調したばかりの常盤色をした大きな傘だ。重さなど気にせず選んだのが、失敗だったか。
差しているのが面倒になって、ふっと腕の力を緩めると、(行ってもいい?)と声が聞こえた。
「どこに行くんだ?」
(えっとね、念仏踊り)
念仏踊り、だと?
傘は上下に跳ねながら俺を引っぱって行く。
ええい、ままよ。どこへでも連れて行け。それにしてもルックスの割に、子供っぽい傘だな、コイツ。新品だからか?
雨は相変わらずで、足音までも吸い取られたように静かだ。おれは、浮かれた傘に操られ、間抜けなステップを踏みながら細かい雨の中を進む。
たくさんの傘が、踊り狂っていた。
傘は、おれを振りほどいて、一目散に傘の踊りの輪へ入っていく。
踊る傘は実にさまざまだった。ビニール傘も、和傘も蝙蝠傘も、入り乱れて踊っている。けれど、ほとんどが壊れたり、年季の入った古い傘で、真新しい常盤色の傘は、ずいぶん浮いた存在だ。それなのに、おれの傘は骨だけになった傘や、厳めしい蛇の目に促され、どんどん踊りの輪の中心へ入っていく。
閉じたり開いたり、くるくる回って、傘が踊る。大勢の傘が、おれの傘に合わせて、踊る。やがて、無言だった雨が念仏を唱え始め、傘たちの踊りは一体となる。
おれは、傘たちの踊りに目を奪われていた。細かな雨が体中を濡らし、髪の毛から水滴が落ちるのも気にせず、立ち尽くしていた。
ようやくおれの手に戻ってきた傘は、興奮冷めやらぬ様子で、いろいろと話を始めた。
(あそこはね、昔昔、傘屋だったの。じいさんが、ひとりで傘を作っていたんだ)
(じいさんはすごく頑固でね。でも、じいさんの張った傘は、とても長持ちだったんだ)
(さっき踊っていた傘は、みんなじいさんの傘か、その生まれ変わりなの)
(でね、今夜はじいさんの祥月命日)
「なあ、おまえひとりだけチビだったろう? 本当はまだ付喪神にはなれない年なんじゃないのか?」
(うん、でもね。ついこの間まで、こんな顔だった)
傘は「ばあ」と、あっかんべえをして見せた。蜘蛛やらゴキブリやら小鬼をぶら下げ、舌をだらりと垂らした、巨大なオンボロ傘が立ちはだかる。
腰を抜かしたおれは、からからと大声で笑うお化け傘に引き摺られて、家に帰った。
これが台風だったら強風のせいだと言えるのだが、今夜は小糠雨、音もたてずに細かい雨が降り続いている。
傘はどんどん重くなる。この間、新調したばかりの常盤色をした大きな傘だ。重さなど気にせず選んだのが、失敗だったか。
差しているのが面倒になって、ふっと腕の力を緩めると、(行ってもいい?)と声が聞こえた。
「どこに行くんだ?」
(えっとね、念仏踊り)
念仏踊り、だと?
傘は上下に跳ねながら俺を引っぱって行く。
ええい、ままよ。どこへでも連れて行け。それにしてもルックスの割に、子供っぽい傘だな、コイツ。新品だからか?
雨は相変わらずで、足音までも吸い取られたように静かだ。おれは、浮かれた傘に操られ、間抜けなステップを踏みながら細かい雨の中を進む。
たくさんの傘が、踊り狂っていた。
傘は、おれを振りほどいて、一目散に傘の踊りの輪へ入っていく。
踊る傘は実にさまざまだった。ビニール傘も、和傘も蝙蝠傘も、入り乱れて踊っている。けれど、ほとんどが壊れたり、年季の入った古い傘で、真新しい常盤色の傘は、ずいぶん浮いた存在だ。それなのに、おれの傘は骨だけになった傘や、厳めしい蛇の目に促され、どんどん踊りの輪の中心へ入っていく。
閉じたり開いたり、くるくる回って、傘が踊る。大勢の傘が、おれの傘に合わせて、踊る。やがて、無言だった雨が念仏を唱え始め、傘たちの踊りは一体となる。
おれは、傘たちの踊りに目を奪われていた。細かな雨が体中を濡らし、髪の毛から水滴が落ちるのも気にせず、立ち尽くしていた。
ようやくおれの手に戻ってきた傘は、興奮冷めやらぬ様子で、いろいろと話を始めた。
(あそこはね、昔昔、傘屋だったの。じいさんが、ひとりで傘を作っていたんだ)
(じいさんはすごく頑固でね。でも、じいさんの張った傘は、とても長持ちだったんだ)
(さっき踊っていた傘は、みんなじいさんの傘か、その生まれ変わりなの)
(でね、今夜はじいさんの祥月命日)
「なあ、おまえひとりだけチビだったろう? 本当はまだ付喪神にはなれない年なんじゃないのか?」
(うん、でもね。ついこの間まで、こんな顔だった)
傘は「ばあ」と、あっかんべえをして見せた。蜘蛛やらゴキブリやら小鬼をぶら下げ、舌をだらりと垂らした、巨大なオンボロ傘が立ちはだかる。
腰を抜かしたおれは、からからと大声で笑うお化け傘に引き摺られて、家に帰った。
「へんぐえ‐茜‐」掲載作
2010年5月20日木曜日
2010年5月17日月曜日
2010年5月13日木曜日
2010年5月10日月曜日
2010年5月5日水曜日
飛行船群の襲来
プシケは、その日も電線を見上げながらトボトボと町中を歩いていた。それが彼の仕事であるからだ。傷ついた電線を見つけたらゲシュトットさんに報告する、というのがプシケの仕事だ。
その日は珍しく、傷ついた電線は一ヶ所も見つかっていなかった。プシケは少し退屈しながら上を見て歩いていた。
そんなプシケの視界に、白い楕円形の物体が入った。
「飛行船だ」
プシケは小さな声で言った。
飛行船は、一機ではなかった。青空に飛行船が犇めき、のんびり飛んでいた。すぐにプシケの視界は、飛行船で埋め尽くされた。
白い飛行船が眩しくて、電線が見えない。今日の仕事は切り上げだ、とプシケは決めた。サラミを買って帰ろう。
しかしゲシュトットさんに観察続行不能の理由を報告せねばならない。
プシケは日誌にこう記した。
「飛行船群の襲来につき」ゲシュトットさんはきっとカンカンに怒るだろう。けれど、何も嘘は書いていないさ。
プシケは、もう一度、空を見上げた。飛行船群はゆっくりゆっくり、東へ進んでいるようだ。
その日は珍しく、傷ついた電線は一ヶ所も見つかっていなかった。プシケは少し退屈しながら上を見て歩いていた。
そんなプシケの視界に、白い楕円形の物体が入った。
「飛行船だ」
プシケは小さな声で言った。
飛行船は、一機ではなかった。青空に飛行船が犇めき、のんびり飛んでいた。すぐにプシケの視界は、飛行船で埋め尽くされた。
白い飛行船が眩しくて、電線が見えない。今日の仕事は切り上げだ、とプシケは決めた。サラミを買って帰ろう。
しかしゲシュトットさんに観察続行不能の理由を報告せねばならない。
プシケは日誌にこう記した。
「飛行船群の襲来につき」ゲシュトットさんはきっとカンカンに怒るだろう。けれど、何も嘘は書いていないさ。
プシケは、もう一度、空を見上げた。飛行船群はゆっくりゆっくり、東へ進んでいるようだ。