桜の花びらに埋もれながら、祖父の声を思い出す。
一番上の抽き出しにあるノートは開いてはいけないよ。開いたら最後、消えてなくなってしまうから。
一番上の抽き出しが開いているのに気が付いて、慌てて閉めようとしたが、間に合わなかったのだ。
強い風が窓から入ってきてノートを巻き上げた。
ぱらぱらと捲れあがる頁はそのままさらさらと灰になった。
ノート、本当に消えてなくなっちゃったよ、おじいちゃん。
なおも灰は風に飛ばされ、部屋の中が砂漠のように霞む。
窓は閉めたけれど、灰はほんの数枚部屋に入った桜の花びらを、何万枚にした。花咲かじいさんみたいだね、おじいちゃんのノートは。
この花びらを庭に埋めよう。大きな穴を掘って、一枚残らず。
2008年3月29日土曜日
2008年3月27日木曜日
ふとももに
眠っているあなたのふとももを撫でていると、手のひらに違和感を感じた。
「芽が出てる……」
それは確かに植物の芽で、瑞瑞しく緑で、つんと立っていて。わたしはそれを育てることにした。
水をやろうと、唾液を流しながら舐めた。
肥料を与えようと、指を噛み切って血を垂らした。
そうするうちに背が伸びる、葉が出る。
あなたが目を覚ます前に花を咲かせて欲しいと、私は願い、只管に舐める。
月の光がカーテンの隙間から差し込んだとき、強い芳香が広がった。白い花がゆっくりと開いた。指で花にそっと触れると、一層強く香りが漂う。
月下香。
「月下香」或いは「チューベローズ」
花言葉は「危険な楽しみ」。
「芽が出てる……」
それは確かに植物の芽で、瑞瑞しく緑で、つんと立っていて。わたしはそれを育てることにした。
水をやろうと、唾液を流しながら舐めた。
肥料を与えようと、指を噛み切って血を垂らした。
そうするうちに背が伸びる、葉が出る。
あなたが目を覚ます前に花を咲かせて欲しいと、私は願い、只管に舐める。
月の光がカーテンの隙間から差し込んだとき、強い芳香が広がった。白い花がゆっくりと開いた。指で花にそっと触れると、一層強く香りが漂う。
月下香。
「月下香」或いは「チューベローズ」
花言葉は「危険な楽しみ」。
2008年3月25日火曜日
2008年3月23日日曜日
2008年3月21日金曜日
2008年3月20日木曜日
2008年3月18日火曜日
2008年3月17日月曜日
2008年3月16日日曜日
2008年3月15日土曜日
夜の闇の内側
いつもよりほんの少し饒舌なあなたに、わたしは少しとまどう。けれど、すぐにここが夢の中だからだと気が付く。
「正確には夢の中じゃない。よく似ているけれど、全く違うところなんだ」
とあなたは言った。
「夢の外の、つまり夜の闇に開いた、ピンホール。その中だ」
よくわからないよ。
「夜の闇は宇宙と同じくらい広くて深い。そこに一ヶ所だけある小さなキズのような穴に、おれたちは入り込んだ」
ますますわからない。だけど、此処はなぜだか心地よい。でも、どうやって。
「キズがほんの少し広がっていたから、見つけられたんだ」
どうして。
「春だから、だよ」
あなたのこの言葉が合図だったかのように、目の前に亀裂が走り、ぐぐっと開き、外、つまり夜の闇に押し出された。
あなたはいつもの無口に戻る。
もう少し、あなたの声を聞いていたかったのに、とわたしは悔やむ。
「正確には夢の中じゃない。よく似ているけれど、全く違うところなんだ」
とあなたは言った。
「夢の外の、つまり夜の闇に開いた、ピンホール。その中だ」
よくわからないよ。
「夜の闇は宇宙と同じくらい広くて深い。そこに一ヶ所だけある小さなキズのような穴に、おれたちは入り込んだ」
ますますわからない。だけど、此処はなぜだか心地よい。でも、どうやって。
「キズがほんの少し広がっていたから、見つけられたんだ」
どうして。
「春だから、だよ」
あなたのこの言葉が合図だったかのように、目の前に亀裂が走り、ぐぐっと開き、外、つまり夜の闇に押し出された。
あなたはいつもの無口に戻る。
もう少し、あなたの声を聞いていたかったのに、とわたしは悔やむ。
2008年3月10日月曜日
星待ち
玻璃のすずらんが、ふるふると揺れると、また一つ星が生まれる。
ぼくは何万年も玻璃のすずらんをじっと見つめてきた。星が生まれたら帳簿に印付ける、それがぼくの役目だ。
だけども、楽な仕事じゃない。玻璃のすずらんは、いつ震え出すかわからない。何年もぴくりともしないときもあれば、帳簿に印を付けているその隙に、また新しい星が生まれることもある。油断できない。
くしゃみどころか欠伸でも、玻璃のすずらんはゆさゆさと揺れてしまうから、常に息を潜めていなければならない。
けれども、もう五千年も前から、ぼくは欠伸を噛み殺し続けている。とてつもなく眠い……。
ぼくが眠ると、玻璃のすずらんの花が一つ、増えるだろう。
ぼくは何万年も玻璃のすずらんをじっと見つめてきた。星が生まれたら帳簿に印付ける、それがぼくの役目だ。
だけども、楽な仕事じゃない。玻璃のすずらんは、いつ震え出すかわからない。何年もぴくりともしないときもあれば、帳簿に印を付けているその隙に、また新しい星が生まれることもある。油断できない。
くしゃみどころか欠伸でも、玻璃のすずらんはゆさゆさと揺れてしまうから、常に息を潜めていなければならない。
けれども、もう五千年も前から、ぼくは欠伸を噛み殺し続けている。とてつもなく眠い……。
ぼくが眠ると、玻璃のすずらんの花が一つ、増えるだろう。
川面から
なにやらキラキラと光るものがあるので、川へ降りていった。
キラキラの正体は、蝶だった。羽を広げて、ぺたんと浮いている。鱗粉が周りの水面にもやもやと広がっている。
「そんなところに浮かんでいたら、羽が濡れて動けなくなってしまうでしょう?」
とわたしが言うと
「こうして空を見上げながら、漂っていたいのです」
と天から降るような声で答えが返ってきた。
「そんなに気持ちがいいなら、わたしも真似をしてもいい?」
わたしは、服を全部脱いで川に浮かんだ。川の水は冷たい。乳首がきゅっとかたくなる。
身体の力を抜いて浮かぶのは、なかなか難しい。蝶がときどきアドバイスをしてくれた。
「その調子です」
やっと空を見る余裕ができた。真っ青かと思っていた空は、鱗粉を撒き散らしたようにキラキラしていた。
「空ってこんな色だったのね」
蝶の返事はなかった。
キラキラの正体は、蝶だった。羽を広げて、ぺたんと浮いている。鱗粉が周りの水面にもやもやと広がっている。
「そんなところに浮かんでいたら、羽が濡れて動けなくなってしまうでしょう?」
とわたしが言うと
「こうして空を見上げながら、漂っていたいのです」
と天から降るような声で答えが返ってきた。
「そんなに気持ちがいいなら、わたしも真似をしてもいい?」
わたしは、服を全部脱いで川に浮かんだ。川の水は冷たい。乳首がきゅっとかたくなる。
身体の力を抜いて浮かぶのは、なかなか難しい。蝶がときどきアドバイスをしてくれた。
「その調子です」
やっと空を見る余裕ができた。真っ青かと思っていた空は、鱗粉を撒き散らしたようにキラキラしていた。
「空ってこんな色だったのね」
蝶の返事はなかった。
2008年3月9日日曜日
2008年3月7日金曜日
2008年3月6日木曜日
2008年3月4日火曜日
もしもの話
もしも男の子だったら、とよく考えた。
本当に男の子になりたいわけじゃない。
女の子の世界はダサくて男の子の世界は素敵だからだ。着せ替え人形よりプラモデル、スカートよりジーンズのほうが、魅力的なだけ。それが真に似合うのは男の子だけだと思っていた。だから、男の子になることを夢想した。
本物の男の子は、わたしのジーンズを見て寄ってきた。
「それ、ピンテージの復刻モノ?すごい!いいなぁ」
本物の男の子は、さすが話がわかる。
だけど、もしわたしが男の子だったら、彼の笑顔にときめかない。彼の笑顔がまぶしいのは、わたしが男の子じゃないからだ。
彼の笑顔をまぶしいと感じることのほうが、ジーンズの話で盛り上がることより、うれしい。
その日から「もしも」を考えるのは止めた。
本当に男の子になりたいわけじゃない。
女の子の世界はダサくて男の子の世界は素敵だからだ。着せ替え人形よりプラモデル、スカートよりジーンズのほうが、魅力的なだけ。それが真に似合うのは男の子だけだと思っていた。だから、男の子になることを夢想した。
本物の男の子は、わたしのジーンズを見て寄ってきた。
「それ、ピンテージの復刻モノ?すごい!いいなぁ」
本物の男の子は、さすが話がわかる。
だけど、もしわたしが男の子だったら、彼の笑顔にときめかない。彼の笑顔がまぶしいのは、わたしが男の子じゃないからだ。
彼の笑顔をまぶしいと感じることのほうが、ジーンズの話で盛り上がることより、うれしい。
その日から「もしも」を考えるのは止めた。
2008年3月2日日曜日
暇をください三分ばかり
「三分」
願いが聞き届けられるとは思わなかったけれど、なぜかあっさり、三分間の暇をもらうことができた。
わたしはどういうわけか監禁されている。同棲のはずだったのに。
彼はわたしを束縛するあまり、何日もしないうちに仕事にいかなくなった。買い物にもいかないから、食事は買い置きのインスタントラーメンだけ。それも昨日の夜で終わった。
彼は暴力はふるわないけれど、わたしの一挙手一投足をただ見つめ続けている。
わたしは、そこに異様な快感を見出だしている自分に気付いて、怖くなった。
暇をもらった三分間、まず外に出て伸びをした。母に電話をし、早口で事情を告げた。
それから、彼に電話をした。
「もうわたしを見るのはやめて」
「どうして?」
その声は携帯電話からではなく……。
ストップウォッチを持った彼が瞬きもせずに、わたしの顔を凝視している。ずきんと身体が熱くなる。
願いが聞き届けられるとは思わなかったけれど、なぜかあっさり、三分間の暇をもらうことができた。
わたしはどういうわけか監禁されている。同棲のはずだったのに。
彼はわたしを束縛するあまり、何日もしないうちに仕事にいかなくなった。買い物にもいかないから、食事は買い置きのインスタントラーメンだけ。それも昨日の夜で終わった。
彼は暴力はふるわないけれど、わたしの一挙手一投足をただ見つめ続けている。
わたしは、そこに異様な快感を見出だしている自分に気付いて、怖くなった。
暇をもらった三分間、まず外に出て伸びをした。母に電話をし、早口で事情を告げた。
それから、彼に電話をした。
「もうわたしを見るのはやめて」
「どうして?」
その声は携帯電話からではなく……。
ストップウォッチを持った彼が瞬きもせずに、わたしの顔を凝視している。ずきんと身体が熱くなる。
エスケープの合図を送れ
本当に、合図なんて送れるのだろうか。
深い眠りの中で、僕たちはいつもしっかりと手を繋いで泳いでいる。昼間の僕たちには考えられないけれど、そうしなければ強い流れに飲み込まれてしまうから。
夢というには、あまりに苦しい現実だ。朝起きれば、パジャマも髪もぐしょ濡れで、同級生である彼女もまた同じ状態らしい。
今朝、巨大な生き物が接近するところで目が覚めた。シャチならいい。巨大タコでもまだマシだ。たぶんこの世の生き物じゃない。だってやっぱり、僕とあのコの夢が作り上げたものだから……。
とにかく今夜は確実に襲いかかってくるだろう。
授業中も、彼女の後ろ姿を見ながら、あの生き物から逃れる方法ばかり考えていた。
「引き付けたところで、合図するから」
学校からの帰り道、やっと彼女に話しかけた。彼女の顔色が変わった。
「右手に向かって逃げるんだ。あっちのほうが、たぶん流れが穏やかだ」
「できない、一人じゃ泳げないよ。それに……」
「大丈夫。ちゃんと目が覚めて、明日も退屈な学校にいく。それだけだよ」
大丈夫な保証はない。前に岩にぶつかってケガをした時は、病院でキズを縫った。
僕たちは、初めて手を繋いで歩いた。
よく知っている手。でも、濡れていない。ここは夢でも水中でもないんだな。なのに、不安なのはなぜだろう。
彼女逃がすために、僕は今夜眠るのだ。
深い眠りの中で、僕たちはいつもしっかりと手を繋いで泳いでいる。昼間の僕たちには考えられないけれど、そうしなければ強い流れに飲み込まれてしまうから。
夢というには、あまりに苦しい現実だ。朝起きれば、パジャマも髪もぐしょ濡れで、同級生である彼女もまた同じ状態らしい。
今朝、巨大な生き物が接近するところで目が覚めた。シャチならいい。巨大タコでもまだマシだ。たぶんこの世の生き物じゃない。だってやっぱり、僕とあのコの夢が作り上げたものだから……。
とにかく今夜は確実に襲いかかってくるだろう。
授業中も、彼女の後ろ姿を見ながら、あの生き物から逃れる方法ばかり考えていた。
「引き付けたところで、合図するから」
学校からの帰り道、やっと彼女に話しかけた。彼女の顔色が変わった。
「右手に向かって逃げるんだ。あっちのほうが、たぶん流れが穏やかだ」
「できない、一人じゃ泳げないよ。それに……」
「大丈夫。ちゃんと目が覚めて、明日も退屈な学校にいく。それだけだよ」
大丈夫な保証はない。前に岩にぶつかってケガをした時は、病院でキズを縫った。
僕たちは、初めて手を繋いで歩いた。
よく知っている手。でも、濡れていない。ここは夢でも水中でもないんだな。なのに、不安なのはなぜだろう。
彼女逃がすために、僕は今夜眠るのだ。